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窮屈だと言わないで

タイラ(99年生まれ 伊良部島出身)

 宮古島の隣にある伊良部島という島の出身です。

 人生で私はなんどこの自己紹介をするだろうか。私は15歳の時、生まれ育った島を出て沖縄本島の高校に入学した。その時からずっと、このセリフを口にしている。

 私の故郷は伊良部島である。

 私はインドアで嫉妬深く、欲張りで自意識過剰な子供だった。

 小学校に上がる前から、かけっこや持久走が苦手で、足の早い同級生がモテたり、他の親や先生に褒められているのを見て嫉妬していた。

 しかし本を読んだりテレビを見るのが好きで、お勉強が少しできたので「かしこいね」「おしゃべりが上手だね」と言われて育った。幼い私はそこに道を見出したのである。

 足が遅くても、頭が良くて面白ければ、ちやほやされて楽しく生きていけると思っていた。テレビに出てくるお笑い芸人や、学者のようにキラキラできると思っていた。

 しかし伊良部島ではそうはいかない。

 川崎出身の有名なラッパーによると神奈川県川崎市で生きていくには「犯罪者になるか、ラッパーになるか」この二択しかないそうだ。

 伊良部島で思春期を迎える少年が生きていくには「ヤンキーになるか、バレーボール選手になるか」しかない。

 伊良部島では「バレーボールが上手い」というステータスがどんなことよりも尊い(当時は本気でそう思ってた)。次に野球、同率で陸上競技だ。

 足が速くてモテるのは小学生まで、というのは幻想である。人間はどこまでいってもフィジカル的に優れている事を求められるのではないか。カルチャーに精通した文化系よりも体力有り余る肉体派のほうを職場に採用するのはよくある話である。

 私は、伊良部島が「フィジカル至上主義の島」なのだと思っていた。

 バレーボールが上手だと、クラスメイトや先輩、先生のみならず親戚や他人の親にまで名前が知れ渡り称賛される。もう一つの派閥であるヤンキーからも一目置かれる。(不良でバレーが上手いという無敵のやつもいる)

 かくいう私はクラスの誰よりも賢いという自負があったし、どんな友達も怖い先輩も、大人をも笑わせる自信があったし、実際たくさんウケたと思う。しかし「将来は何になるの?」「勉強してお金持ちになるんだよ」としか他人は言わない。

 バレーボールが上手ければ今を盛大に肯定してもらえるのに、頑張って勉強して学力をつけたり、笑い話ができるくらい面白くなっても「未来」しか見られていない。今、自慢できるなにかを形に残さないと褒められない。

 小中学生の私は、自分の今を肯定してほしかったのに、誰もしてくれなかったのである。

 その時私は伊良部島を「窮屈だ」と思った。自分の努力や資質、今の能力を認めてほしいと思った。その場所を探さなければ幸せになんてなれないと思っていた。そうして私は島を出た。

 今考えると、自分の視野の狭さや自意識過剰さに呆れてしまう。私を認めて肯定してくれる味方は多くいてくれたし、誰も否定などしていなかっただろうに。そもそも「将来が楽しみだね!」なんてその人への期待が現れている素敵な褒め言葉だ。

 でも当時の私には「今を認めてもらえる」事が重大であったし、現在でもこのフィジカル至上であったり、成果主義的な構造は島の至る所に存在し、島民を苦しめているのではないかと私は思う。そこで生活してみると、閉ざされた無数の可能性を感じることが、誰にでもできるはずだ。

 時は経って、2022年3月。欲張りな私は未だ満たされず、東京で生活をしている。島を離れて8年ほどが経過し、「窮屈」だったあの場所は私の中で様々な表情を見せた。

 高校時代はホームシックや方言の違いを指摘されて、自分が世界で一番面白いと思っていた私は落ち込み、島が恋しくなり「故郷」なんだと自覚した。帰省して英気を養うことで、踏ん張って楽しい生活を送ることができた。

 大学に入学し上京した私は、島出身だということでめちゃくちゃにチヤホヤされ、顔が濃いから割とモテた。その時私は「誇れる場所」であり、みんなに好かれる良い場所が伊良部島であり、沖縄なのだと思った。

 ある時私の大学で大規模な沖縄に関するイベントが開催された。2019年4月、玉城デニー氏や活動家の方、教授などが訪れ沖縄・日本の民主主義を問う講演会が行われたのである。

 1県の知事が東京都の大学の講義室を貸し切って講義を行うのは珍しく、関心のあった私ももちろん参加した。そこには700名ほどの人間が集い、皆で彼らが語る問題について考えていた。

 私は「沖縄」が多くの人の関心が集まる場所であり、多くの問題を抱える場所であることを改めて理解した。それは嬉しいことであると同時に、「沖縄」がどんな歴史を背負いどのような立ち位置にいるのか、曖昧になってしまっている私のような若者へ現実を突きつける事でもあった。

 また大学卒業が近づくたびに、島のどのような職につくのか、どれくらい金を稼ぐのか、そういう物差し触れるたびに、「自分が楽しいことをしても評価されないのか?」という不安や重苦しい感情も湧いてきた。

 沖縄や島への印象は変化していると思い込んでいたが、それは違う。物事にはいろんな側面がある。私が今まで抱いてきた島・沖縄への印象はひとつの表情にしか過ぎない。当たり前の事だけど、そう思うと沖縄という場所に強く惹かれた。

 私は現在新人のライターとして社会に出ようとしているが、基礎を学び十分な準備をして、いつか沖縄をもっと探究したい。

 見たことのない表情を探し、発信したい。私の命が尽きるまで切れることのない「縁」をもつその地には、まだまだ発見すべきことが残されているはずだ。

 もちろん、探究を続けて残してくれた、私をこのような思いにさせてくれた先人たちには最大限の感謝と敬意を持っているつもりだ。伊良部島、沖縄は、当時の私にも言って聞かせたいほどに、広く深い場所なのだ。

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