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学校において心理的安全性を意識することで見えてくるものとは?

 今回は子ども目線に立った時に「心理的安全性」という概念が子どもたちにとってどのようにプラスに働くのかを考えていきたいと思います。
 そもそも、心理的安全性というような言葉が最近取り上げられていますが、私の持論では「学級経営が上手な先生や、子ども理解が上手な先生は昔から心理的安全性を教室に構築していた」と言えます。それが、今になって言葉として一役有名になっているだけです。そのような「行動レベルの事象」は多数行われていました。
 それでは、どうして最近「心理的安全性」という言葉が有名になったのか、それは1つの理由として「安全を感じられない子どもがいるから」ではないでしょうか。今回はこのような現在の子どもたちの問題について言及していこうかなと思います。

①「心理的安全性を感じられない子どもたち」

 現在における子どもたちが直面している問題は何でしょうか。その1つに「安全ではない空間」が教室内に作り上げられていることが挙げられます。例えばいじめや不登校の問題を想起してください。いじめ事象は全国で約60万件、不登校児童は約30万人と呼ばれています。この数字だけを端的に見て「増加している、教育界は良くない方向に進んでいる」と判断するのは危険ですが、私が「安心感」というような点に着目しているので「良くはない」と言わざるを得ない状況なのは確かです。「心理的安全性」というのは確かに組織における生産性を考えた時に「効果のある概念」であるのは確かです。しかし、そのような生産性という面だけでなく、「心理的安全性を感じられない」子どもたちが多数存在するということが、問題の1つになっているのではないかなと感じるのです。

②非認知能力の低下

 さて、私が考えるのは「子どもたちの非認知能力の低下」が大きな問題になってきているということです。子どもたちには例えばテストで測ることのできる資質能力のように「認知能力」も存在すれば、そのような「ものさし」では測ることが難しいような「非認知能力」が存在します。非認知能力には「コミュニケーション能力・社会性・やるぬく力」など様々な項目が存在します。私はここでの他者と「つながる力」が子どもたちには大きく欠けているのではないかなと感じるのです。というのも、最近の子どもたちはSNSの発展などにより、容易で簡単なつながり方を知りました。確かに誰とどこでもつながれるのは、大きなメリットがあります。しかし、その反面、つながるまでの時間が薄ければ薄いほど、その程度のつながりしか生まれません。その程度のつながりで終わってしまうのです。相手との感情の交流に一喜一憂しながら勇気を出してつながり合っていた時代には、それ相応の得られるものがあったはずなのです。その非認知能力の低下が、子ども同士のつながる力を弱め、グループ化を進めているように感じるのです。強いてはそれが心理的安全性の低下につながっているというわけです。

③心理的安全性を感じるためには

 私が考えるのは、まず教師が子どもにとっての「心理的安全性を感じられる存在」になるべきだと思います。教師と子どもの関係性を構築するのです。その上で子どもと子どもの関係性を構築していくのです。教師のことを信頼できていない子どもに、どれだけ子ども同士がつながる大切さを説いたところで身になることはありません。まずは教師がそのような存在になるのです。そのためには様々な工夫があります。

①毎日全ての子どもにあいさつをする。
②あいさつの際にプラス一言を添える
③子どもの変化に気づくと、さりげなく声にして相手に伝える。
④子どもの良いところを価値付けする
⑤いつでも笑顔で子どもと関わる

言い出せばいくらでもあげることができます。自分なりのオリジナリティを出して、子どもにとっての信頼できる教師としての自分を作り上げていかなくてはいけません。

④終わりに

 子どもたちにとって教室は「安心感」を感じられる場所になっているでしょうか。子どもたちにとって「安心して過ごせる」場所になっているでしょうか。まずが自分の学級の様子を冷静に観察し、そのような状況と大きくかけ離れているのであれば、「まずが教師から関係を築いていく」ということが大切です。教師と子どもとの関係を強いものにして、学級経営を行っていく。焦ることなく、1つのことを冷静にコツコツと取り組んでいく。そのような心持ちで臨んでみてはどうでしょうか。

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