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心理的安全性×学びの共同体で学級経営を充実させる

 今回のテーマは「学びの共同体」と「心理的安全性」を意識した上で学級経営がどのように向上していくのかという視点を明らかにしていこうというものです。私が勉強している中でこの両者はとても大きく関連していることがわかりました。2つの概念やビジョンで大切にしていることが、関連し合ったり、時には重なり合いながらポジティブな連鎖反応を起こすのではないかと考えています。私なりの見解を考えていこうと思います。

①わからないが言えると心理的安全性が高まる

 学びの共同体で大切にすることは授業において子どもたちが「わからない」と言えることです。「間違う・失敗する」ということを価値あることとして受け止めます。このわからないが言い出せることが、心理的安全性を高める大きな要因になると考えるのです。

しかし、上記でも示した通り「わからないが言える」ということはかなりハードルが高いことであるとわかります。その子の心理状況を考えると、授業中に「わからない」と感じている子はかなり「不安」な状況に陥っているような感覚だと思います。不安で不安でしょうがない。少し諦めに似たような感覚に陥っているなど・・・。私たちが想像している以上に辛くて苦しい状況なのです。私たち教師はそんな子どもたちにどうにかこうにか「安心感」をもたらさなくてはいけません。子どもたちが安心して「わからない」と言えるような学級風土をつくらなくてはいけません。よく「わかるように指導する」と言いますが、まずそうではなく「わからないと言えるように」導いてあげるべきなのです。

②どうしてわからないが言えないのか

さて、学びの共同体で重要視される「わからない」という事象ですが、ここではわからないと言い出せない子どもについて深堀していきたいと思います。例えば心理的安全性の概念から考えると、

という面が非常に大切だと考えています。特に左側の2つの要因である「無知・無能」というような心理面の認知の仕方が優位に働き「わからない・間違う」ということに大きくネガティブな感情を抱くことにつながっているのです。このような対人関係の4つの阻害要因において、学び合いが成立しない現象が発生しているのだと思います。物理的な環境面だけでなく、心理的な環境面がとても大きいのです。

③心理的安全性を高めることで「わからない」が言える

では、教室内で子どもたちが「分からない」と言えるようにするためにはどうしれば良いでしょうか。これは「心理的安全性を高めていく」ということに大きなヒントがあるように感じています。というのも、「みんなでわからないと言い合おう!」「わからないことから授業は始まるよ!」なんて言う言葉をいくらかけても子どもたちの心理的安全性が高まることはありません。(もちろん、教師がそのような心持ちを抱いて接することはとても重要です)大切なのは「わからない経験」がポジティブに働くことです。その経験ができるのが「子どもが子どもに、ここがわからないのだけど」と聴き合える経験をすることです。いくら教師がアクションを仕掛けても子どもは変わりません。子ども同士が「聴き合える関係」を構築していないことには、学びは始まらないし、心理的安全性も深まっていかないのです。子どもに「友達のわからないことを聴き合ってね」「どこがわからないか聴き合うことから、はじめようね」など、子ども同士のわからないことを聴き合う営みを増やしていくのです。そうすることで、「友達のわからないことを聴くことで、新しいことがわかった」などポジティブな経験を積んでいくことになります。そのようなやりとりの中で子どもは心理的安全性を高めていくことになっていくのです。

「聴き合う」というような関係性をより深めていくことで、子どもたちは心理的安全性を高めていくことができるのです。

④終わりに

 今回は心理的安全性と学びの共同体における「聴き合う関係」の作用について考えました。子ども同士がお互いの気持ちを考えて「聴き合う」ことで心理的安全性は大きく高まります。安全を高める「価値観」を子どもたちの中にどんどん醸成させていくことが何よりも大切なことなんだと思います。そして、教師はそのようなことを意識しながら教室において子どもたちと関わり、温かな学級風土を作り上げていくことが大切なのだと思います。私自身、まだまだそのレベルにまで達してはいませんが、そんな理想の学級を目指して取り組んでいきたいと思います。

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