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◆ 父 アルツハイマー型認知症と診断される

かれこれ10年前に、父がアルツハイマー型認知症と診断された。
それから、週に1日、デイサービスにお世話になるようになったのだけど、まだ正気の時が多かったときは、「行きたくない」ということも多かった。

それから本当にゆっくりゆっくりと認知症は進行していった。
ある時父が、「自分の記憶がなくなっていくのが分かるから、それが怖いんだ。」と言っていた。
介護は確かに家族も大変なことはたくさんあるけど、本人が一番怖くて悲しいだろうなと思いつつも「そうなんだね~」としか返せなかったな。

◆ 家族の相性

実家の家族は、両親と2歳年上の姉と4人家族でした。家族の中でも、父と私は仲が良かったんですね。
一時期、父の通院のために、週に2回、車で往復2時間の送り迎えをしていた時期が3カ月間くらいあって、その時、父の若い時の話から、仕事の話、いろんな話をしました。その頃から少しずつ少しずつ、覚悟をし始めた気がします。

父にもし何かあっても、この3か月間がとても大切な時間になったなと。

◆ デイサービス&ショートステイ

私の周りにも、介護している友人が多く、仕事を辞めて介護をしている人も少なくない。そんな中でも、我が家は母がとても気丈な人で元気だったので、基本的には母がずっとひとりで介護してたんですね。姉と私は、長い間、ケアマネさんとのやり取りや、手続きが必要な時に手伝う程度だったんです。

デイサービスを1日から2日に増やし、2日から3日に増やすときは、父が「行かない」と言って大変でしたが、いつの間にか、3日から4日、4日から5日、そしてショートステイを利用するようになっていました。

◆ コロナウイルスの影響

コロナウイルスの影響は至るところであったと思いますが、父のお世話になっていた施設でもクラスターが発生して、デイサービスとショートステイが利用できなくなり、その上、5月に自宅で転んで腰椎を骨折。自宅療養になりました。

そこから初めての介護生活の始まりです。その時には既に、家族のこと、母のことさえ認識できなくなっていたんですね。夜、寝てくれないので、母ひとりではさすがに無理なので、姉と交代で、実家に泊まり込むようになりました。

初めは娘と認識していないので、敬語で丁寧に話していたんですが、1日おきでも顔を見るようになったら、ふと記憶がよみがえったのか、私が隣の部屋にいて姿が見えなかったとき、母に「由美子はどこにいったんや?」って聞いたんです。思わず「ここにいるよ」って出ていきましたが、涙が溢れてしまいました。一瞬でも思い出してくれたんだなと。

そんな生活が3カ月、夜はほとんど寝られなかったので、体力的にも大変でしたが、やっぱりすごく大切な時間になりました。

それから、特別養護老人ホームにお世話になり、脳梗塞で救急搬送、コロナ禍で面会ができなかったのですが、ワクチン接種証明で面会ができることに。明日は、療養型の病院の手続きに行ってきます。


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