見出し画像

年を重ねても大人にはなれなかった

いつになったら大人になれるんだろう

小さい頃は歳を重ねれば自然と大人になるものだと思っていた。
大人になれば自立できるし、大人になれば自由になれるし、大人になれば立派な人間になれる。
憧れなのかもしれない。
漠然とだけれど、そう思っていた時期があった。
けれど、そうはならなかった。

たぶん気づいたのは中学になってからだ。
小学生の頃、子供ながらに制服を着ている中学生を見上げながらなんて大人な人達だろうと思っていた。
僕も背が伸びて制服を着ればあんな風に大人に近づける。そう考えていたのだけれど現実はそうはならなかった。

初めて着た制服


不思議なものでそれっぽい格好をすれば、気分もそれっぽいものになる。
僕も初めて制服を着た時は、なんだか高揚感を感じた。

けれどそれ以上でもそれ以下でもなく、それはただそれで期待していたようなものは何もなかった。
制服を着ていてもランドセルを背負った子を見下ろしても、僕の中身は何一つ変わらなかった。

きっとそれからかもしれない。
一刻も早く家を出て、働いて、自立して、大人にならなくちゃいけないと感じたのは。


僕は16で家を出た

理想のものとはかけ離れていたけれど、早く大人になりたくて一人暮らしを始めた。
あの頃は寝る間を惜しんで一生懸命働いたし、がんばって周りの大人に馴染もうとしていた。

周りの大人に恵まれていたんだろう。
20になる頃には、それなりに稼いで住むのにも食べるのにも困らない程度の生活はできるようになっていた。
内容はさておいて。
周りの大人と呼ばれる人に混ざって会話できるようになったし、何を話しているのかも理解できるようになった。

けれど、僕は自分がなりたかった大人にはなれていなかった。

憧れ


ただ漠然と器の大きな大人に憧れていた。
僕は誰かみたいになりたいと思ったことはないし、尊敬する誰かに近付きたいと思ったことがない。

もちろん、すごいなぁと思う人はいるし尊敬する人もいる。
16で家出したガキンチョを助けてくれた人たちには感謝しているし、人にやさしさを向けられる人は尊敬もする。
見ず知らずの僕に食事をさせてくれる人もいたし、生活の足しにとお金をくれる人もいた。
けれど、僕はその人たちに感謝こそすれ、なぜだかわからないけれどなりたいと思ったことがない。

ただ漠然と、大人とは器の大きな人間というイメージだけがあって、僕はただただ器の大きな人間になりたかった。

なりたかった大人にはなれなかった


家を出てから20年以上が過ぎた。けれど、僕はいまだになりたかった大人にはなれないでいる。
上手くいかないとイラつくこともあるし、辛いことも消化できずにいる自分がいる。
でも、それでいいんじゃないかとも思う。

きっと歳を重ねれば大人になれるものではないんだろう。
きっと経験を積めば大人になれるものでもないんだろう。

今までもこれからも、僕は何度も何度も失敗して傷ついて、何度も何度も後悔して泣くだろう。

やらない後悔よりやる後悔とか言うけれど、後悔なんてしないほうがいいに決まってる。

だけど、今までの経験があるから今の僕があるんだと思う。
なりたかった大人にはなれていないけれど、あの頃より少しは大人になったんじゃないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?