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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その13(前向きに楽しむ)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》

その13(前向きに楽しむ)


1981年、6歳、神奈川県横浜市金沢区


小学校に入ると同時に、夏山SCという地域のサッカークラブに入団した。
入団当初は、1年生の部員も少なく、Aチームという選抜クラスでフォワードやハーフという攻めのポジションに抜擢されていた。しかし、住宅が増えるに従い、夏山SCに新規加入する子どもも増え、1年経過したころには、僕は弾き出されBチームに落ちていた。


Bチームは、Aチームと比べると上手くなりたいという積極的な子は少なく、何となくみんながサッカーチームに入ってるから自分も、という子が多かった。チームが勝つ事より楽しい時間を過ごせれば良い、という雰囲気だった。
低学年のうちは特に、基本的な運動神経が良い子がAチームで、あまり運動が得意でない子がBチームという構図だった。

僕が3年生のとき、僕の親父がサッカークラブにコーチとして加入することになった。親父はサッカーの経験は全く無く、頼まれて断りきれなかったようだ。
やはりAチームのコーチは厳しかったようで、1.2年生のBチームを請け負うことになった。
サッカーは言うまでもなく、相手チームよりも多くの点を取るべく競い合う、勝ち負けを争うスポーツだ。
ただ、コーチである親父も、1.2年生のメンバーも細かい技術や戦術は分からず、相手に打ち勝つ以前のレベルで、とにかく積極的にボールを追いかけて前に蹴る、ということだけを楽しんでいた。
そもそも運動が苦手、争い事を好まない、性格的に優しすぎる、感情を表に出せず内向的、そんな子達も、褒め上手な僕の親父の言葉に乗せられて、だんだんサッカーを楽しめるようになっていた。父母の方にも親父のコーチぶりは評判が良かったようで、子どもたちからも、とても人気があったようだ。

教訓13

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