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父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓

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FPである単身赴任中の父親が、半生を通しての経験や気づきの中で、息子と娘に伝えておきたい大事なことをまとめていきます!
1400世帯顧客保有のファイナンシャルプランナー、単身赴任中の2児の父親の半生記。 次世代を担う息… もっと詳しく
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記事一覧

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その16(コンプレックス)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その16(コンプレックス) 1981年、8歳、神奈…

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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その15(融資・レバレッジ)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その15(融資・レバレッジ) 1981年、7歳、神…

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【父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓】その14(子どもの教育)

【父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓】その14(子どもの教育) 1981年、6歳、神奈川…

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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その13(前向きに楽しむ)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》 その13(前向きに楽しむ) 1981年、6歳、神…

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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その12(兄妹の中での役割)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その12(兄妹の中での役割) 1980年、6歳、神…

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《父から息子と娘に伝えたい88の人生の教訓》その11(子育て環境)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その11(子育て環境) 1980年、6歳、神奈川県…

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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その10(休息の必要性)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その10(休息の必要性) 1978年、4歳、神奈川県横浜市金沢区 幼稚園に通うのは、毎日楽しみだった。自分の家には無いおもちゃがたくさんあり、友達と一緒に遊ぶことができる。 唯一、幼稚園のカリキュラムの中で苦痛だったのが、昼間の時間だ。遊びたくて元気いっぱいなのに、無理やり寝かせつけられる。 だいたい寝られなくて、昼寝の時間が終わるのを楽しみにそわそわしていた。 当時は、なぜ昼寝が必要なのか理解できてなかったが、今思うと幼稚

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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その9(自分の時間)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その9(自分の時間) 1978年、4歳、神奈川県横…

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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その8(ワクワクすること)

父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓その8(ワクワクすること) 1978年、4歳、神奈川県…

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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その7(立場と役割)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その7(立場と役割) 1977年、3歳、神奈川県横…

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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その6(母と妻)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その6(母と妻) 1976年、2歳、神奈川県横須賀…

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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その5(まず与える)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その5(まず与える) 1976年、2歳、神奈川県横…

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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その4(お喋りな性格)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その4(お喋りな性格) 1975年、1歳、神奈川県…

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《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その3(食に感謝)

《父から息子と娘に伝えたい、88の人生の教訓》その3(食に感謝) 1975年、1歳、神奈川県横須賀市 両親のおかげで、すくすく健康に育った。 ミルクを勢いよく飲み過ぎてむせて戻したり、ローストチキンの皮が大好きだったが、喉に詰まらせて戻したり、と食いしん坊なのは昔から変わらないようだ。 両親はともに、それほど食に興味がないタイプだが、僕は隔世遺伝で父方の祖母に似たのだろう、食に対する興味や執着心がかなり強い方だ。 おかげさまでこれまで、例えば緊張し過ぎてご飯が喉を通らな

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