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私がオタ活を隠す理由

閲覧ありがとうございます🌱

皆様!
おはようございます
こんにちは
こんばんは

どうも
自律を目指すしがない舞台オタ学生
萩月.🌱と申します。

前回の投稿から数ヶ月経ってしまいました。
特に語れることもなく
淡々とした日々を送っていたので
このnoteも下書きを書いては消し、書いては消しを
繰り返しておりました。

自分語りしかできない、社会経験の少ない学生を
実家で肩身の狭い環境で送っているので
思い切りオタクすることができないということが
一番の理由ではないかなぁなんて思っております。

まぁ、今回も自分語りなんですけどね。
そこらへんにいるただの学生の妄言を
「へぇ、そんな子もいるんや」とか
「わかるわぁ…」とか
気軽に聞き流してもらえると嬉しいです。

(DM等で感想とかもらえたら跳ねて喜びます)

私は“三日坊主”の常連さん

私は自他共に認める飽き性であり“三日坊主”常連です。
一つのことをめちゃくちゃ好きと言えない学生時代を過ごしてきました。

いつかの自己紹介で書かせていただいたとおり、
「趣味:観劇」になったのは、ほんの数年前の話。
2018年くらいから友人に連れられて様々な舞台を
観劇するようになりました。

それまでの趣味と言っていた事柄もただの「知識」の
一つになっただけで所謂「オタク」といわれる段階には到達せず、永遠の「にわか」でした。

でも好きには変わりはない、と当時の自分は言っていましたが。

勧めてくれたゲームもチュートリアルで断念したり
デイリーを毎日こなすなんてもってのほか。
アイドルやアーティストさんの最新の髪型やお仕事を毎日チェックしたり漫画を全巻集めることなんてありませんでした。

なので、まわりの「オタク」している友人が羨ましくて
さまざまな「オタク」に享受してもらい
たくさんのことに手を出した結果が今の私だと思います。

「趣味:舞台」と自認するようになってやっと自分の中で「好き」の形が見えるようになった気がします。

(恋愛感情の好きと区別できなくて混乱するのはまた別のところでお話ししたいと思います)

“趣味”は“教養”の一環であるという教え

学校で教わる教養ではなく、
親から家庭の中で学ぶ教養に関して
皆様のおうちではどのような経験をされたのでしょうか。

萩月家ではありがたいことに、習い事を
たくさんさせてもらっていました。
幼少期からピアノや英会話教室に。
小学校では習字やプール教室。
中学高校と塾に通わせてもらい、
とても忙しい毎日を過ごしていました。

それに加え
祖母が茶道と華道の師範で教室を開いていたため
(お茶菓子目的ではありますが)茶道を学び、
母が絵画や美術を専攻していた経緯から
博物館や美術館に足しげく通い
父にはPCを譲ってもらったり
祖父には農業に電子工学、工作等々教えてもらい
身に付ける“教養”は身近に溢れていました。

これといった好きなものもない妄想癖のあるファンタジー少女は様々な経験をすることが“教養”であり“趣味”である周りの大人たちと同じように生きてきました。

そのおかげで「世界にはまだまだ知らない知識がたくさんある」と広く浅く友人たちの趣味にフットワーク軽くついていくことができたという良い面もありますが、

反対に言うと周りの大人たちは“趣味”に対して
「自分の利益」として捉えているので、
“一つのことにハマる”
という考えができません。
なので“オタ活”を否定するというより理解ができないんだと思います。

“オタク”であることに依存する

周りの大人たちは前述したように“多趣味”である人が
多い環境で育ってきました。
私がそうであるように妹も同様に育ってきているため
“一つのことにハマる”経験をせずに
ちょっと遅めの思春期に突入しました。

私は高校時代に様々な「オタク」に出会えて
様々な世界を知りました。
同じように妹も高校生になってできた友達が
「オタク」であったことをきっかけに
新しい世界を知ることになり、そこから現在に至るまで
その世界にお世話になることになります。

「オタク」に対してすこし羨む気持ちがあったのでしょうか。
妹本人は“一つのことにハマっている”と思っているのでしょうが、同様に育ってきて客観的に見ることができる姉からすると彼女は“オタクをしている自分”にハマっているように感じます。

世の中の“オタ活”をしているお姉さま方と違い
彼女の場合、突然新しい世界に挑戦したがために、
自分のキャパシティを知らないままオタ活をすることになります。

そうすると自分自身のことをコントロールすることができないままオタ活をすることになるので、金銭的なことももちろんのこと彼女自身の“心”をコントロールすることができなくなっていったのです。

私が大学時代、実家を出ていたのとは違い
彼女はずっと実家で暮らしているので
嫌でもその活動は両親の目につくことになります。

オタ活を理解できない親ともはや盲目的になっている妹
衝突しか起きないようになりました。

コロナ禍で大学生になった彼女にとってオタ活は
癒しであり、仲間と繋がれる大切なツールです。

同じオタクになった姉としては同意する部分もあるので
援護したい気持ちはやまやまなんですがね…

身近なオタ活を妹の盲目的なオタ活しか知らない両親は
世にあるオタ活を半ば強制的に否定するようになりました。

そこにひょっこり戻ってきた私が
一つの演目の作品を何公演もみているなんて事実を
言ったらどうなったことやら…
CH/FFを過去最大公演回数見たということは秘密ですよ…

オタ活は救いである

私は友人に対して
舞台が好きであること
オタクであること
宝塚歌劇団が好きなこと
ご贔屓がいること
最近2.5次元舞台に再び惹かれていること等々は隠していません。

なんなら逆に毎日のように布教しています。

周りの大人たちは理解してくれません。
でもそれはたまたま価値観が合わないだけであって
周りの大人たちの意見を否定するつもりもありません。
だからといって無理やり理解してほしいとも思いません。

“ものがたり”が好きな私にとって舞台は
“物語”が具現化し目の前で展開してくれて夢を見せてくれる
私にとっての救いであると思っています。

実家に戻って少しオタ活をすることが難しくなったのは事実です。
やりたいことがあると学生を続けているので
脛をかじらせてもらえるだけでありがたいです。

自分の夢を達成するまでにはもうちょっと時間がかかりそうです。
(それまでこの記事を親が見つけませんように…)
ちゃんと自律して、自分自身の生活基盤ができて
一人前の社会人になってから伝えてみようと思っています。

「私、舞台が好きやねん。」と。




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