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青くて四角いくすり⑥

 とてもいい夜だった。夏菜子にも会えたし、久しぶりの居酒屋だった。
 ほろ酔い気分で店を出て、JRの駅に着いた。ホームで電車を待ってるが、なかなか来ないので、手持ち無沙汰で仕方がない。
 夏菜子は他のお客さんの日記は読むなと言ってたけれど、少しくらいは構わないだろう。
 夏菜子の日記を開けてみた。

「Tさん、今日は、ありがとう。いっぱいのプレゼントに、いっしょに飲もうとしてくれてたのかな、高級なワインまで用意してくれて。でも、何回リピ(リピート、繰り返し客になること)してもらっても、長く延長してもらっても、たくさんプレゼントもらっても、できないことは、できないんです。お店のルールを守ってほしかったです。店長にも注意されました。私にも悪いところがあったと思うから、ほんとうに、ごめんなさい。これまで、いろいろありがとうございました」

「えっ、何だこれ。夏菜子、いったい何されたんだ。それに、『私にも悪いところ』って何のこと?」
 いわゆる出禁というやつだろう。Tは、店への出入りを禁止されたようだ。
 それにしても、Tはいったい何をやらかして、夏菜子は何が悪くて、店長に怒られたのだろう。気になって仕方がない。

 風俗には、女の子が書く日記の他に、客や関係者が書き込む「闇」の掲示板があると聞いたことがある。
 さっそく、お店の名前を入れて検索してみると、やはり掲示板は存在していた。

「夏菜子が、かわいそう」
「Tにマジ惚れされたのか」
「夏菜子は色恋営業(疑似恋愛の接客業)だからな」
「夏菜子は昔、おじさんキラーのキャバ嬢だったらしいぜ」
「夏菜子は何されたんだ?」
「無理やり押し倒された?」
「客に連絡先教えたら、付きまとわれて怖くなった」
「夏菜子は色恋だからな、勘違いするやつ多いんだろう。おれには、何でもさせてくれたぜ」
「おれは、何もなかった」
「お前、キモイからな」
「夏菜子は何でもありだろう」
「夏菜子は、そんな子じゃないよ」
「人によるんだよ。お前、かわいそうだな」

 まさか夏菜子が・・・・・・。

 他の日記も確かめてみようと、日記をめくっていくと、Yさん、もう一人の吉田さんにあてた日記を見つけた。

「Yさんへ、今日もありがとう。13回目かな。大人のおもちゃ、初めて見たよ。あんな形してるんですね。さわってみて、ドキドキ。楽しかったです。また、・・・・・・」

 真相を直接聞きたくて、また、夏菜子に会いにいった。
 いつもどおり、天井を見つめながら、とりあえず、とりとめのない会話から始めることにした。
「この前は、ありがとう。居酒屋さん、楽しかったよ。それから、豆腐ハンバーグ、ご馳走さま。夏菜ちゃん、居酒屋さんで、テキパキ働いてて、カッコよかったよ。」
「夏菜子カッコよかった。テキパキ、そっか。最近、お店に入ってなかったから、しっかり動けてたかなと思ってたんだけど、テキパキ見えてたならよかった。ほんとはね、裏で、ドジばかりしてたんだよ。吉田さん、来てくれてうれしかった。あのお店、気に入ってくれた? 今度、飲みに行きたくなったら、私、その日に入るから、先に教えといてね」
「ああ、また今度、のぞいてみるよ」

 私は、片肘をついて夏菜子に顔を向けた。
「あのう、」
 と、ゆっくり問いかける。
 夏菜子は天井を向いたまま、
「なあに、」
 と、屈託なく応えてくれたが、尋ねにくいことだったので、もじもじしながら、もう一度、
「あのう、」
 と声をかけると、
「どうしたの?」
 と、夏菜子は、私の顔をのぞき込んだ。
「日記見たよ」
「見るな」
「何があったの?」
「何も、」
「・・・」
「ほんとは、お客さんから、何度もLINE聞かれて、めんどくさくなって教えてあげたら、しつこくされて。それで、店長に相談したの」
「大丈夫?」
「大丈夫。それに、もう誰にもLINE教えないって店長と約束したから」
「そう、なら大人のおもちゃは?」
「えっ」
「Yさんの日記に出てた大人のおもちゃ?」
「ああ、あれ。吉田さんが持ってきて、見せてくれただけよ。あんなの使ってないし、あんなので遊んだことなんかないよ」
「そっか」
 夏菜子は、
「他のお客さんのことなんか聞かないの」
 というと、私の鼻を、まるで、ぬいぐるみのくまさんの鼻を押すみたいに押してきた。

「あのね」
 今度は、夏菜子が切り出した。
「なんだよ」
「夏菜子の制服姿見せてあげようか」
「見たいけど。昔と比べたら、別人になってたりするやつか」
「ちょっと、待ってて」
 夏菜子はベッドを抜け出して、カバンの中からスマホを取り出してきた。
「見て、これが私」
 画面の中には、今より少しふっくらとした制服姿の夏菜子が写っていた。きちんと膝をそろえて写ってる。真面目な子だったんだと思いながら、
「夏菜ちゃん、かわいかったんだね」
 というと、
「今と変わらないねって、よく言われる」
「目元が、今の方がぱっちりしてるね」
「そうかな」
 私は、奥に見える二段ベッドが気になったので、
「これは?」
 と、指さすと、夏菜子はスマホを手に取って、
「ああこれ。弟がいるの。中学生くらいまでは、このベッドの上下で寝てたんだけど、お父さんが出て行ってから、弟がお父さんの部屋を使うようになって、私が一人で、このベッドを使うようになったの」
 と教えてくれた。夏菜子の両親が、夏菜子が高校に入る前に離婚して、それからは母親一人に育てられたことを、見せられた写真を通じて知らされた。

 夏菜子はスマホをカバンに戻し、ベッドに戻ってくると、仰向けに寝転んで、ゆっくりと話はじめた。
「私ね、来月くらいに、友だちと海外旅行に行くんだ。今まで一生懸命働いて来たから、卒業までに、それくらい、いいよね。こういう時のために少しずつお金貯めて来たんだけど、あともう少しで、旅行代金支払えそうなんだ。ああ、早く海外に行きたいな。海外なんて行くの初めてだし」
「海外って、どこに行くの?」
「ヨーロッパを巡るの。ああ、吉田さんが行ったイタリアにも行くよ」
「そうか、何日くらい?」
「2週間くらいかな。お土産買ってくるからね」
「ああ、楽しみにしてるよ」
 夏菜子は、小学生が遠足の日を楽しみにするように、待ち遠しそうな顔をして、天井を見つめていた。
 大学生なら、普通行くはずの卒業旅行に、ようやく彼女も行くことができるんだと思うと、私までうれしくなってきた。
 それにしても、夏菜子は、なんでそこまでして「普通」にしがみついているのだろう。
 普通の大学に入って、普通に就職して、普通に旅行にも行きたい。普通、普通、普通……。 夏菜子がFラン大(とても入りやすい大学)かは知らないが、高卒は嫌だという理由だけで、無理して大学に入ったのはいいが、結局、お金に行き詰まって、風俗で働く羽目になった。
 就活をしたところで、風俗やバイトに明け暮れていたから、ガクチカ(学生時代に力を入れてきたことをエントリーシートに書く)も満足に書けていないだろう。今の時期になって、就職が決まってないのなら、絶望的だ。長年、面接に関わっていると、たいてい分かるのだが、面接に来た十人から一人を選ぶとすると、採りたい人に、だいたい票が集まって、他の九人にバラけることはない。普通なだけでは、採用されないのが現実だ。 
 旅行も、みんなが行っているから普通に行きたいだけなのだろう。なのに、こんなに苦労して、お金を貯めている。
 すべてが普通なんてありえない。何かが足りなくて普通なんだ。

 偉そうに夏菜子のことばかりなじっている私は、どうなんだ。
 苦労はしたものの、そこそこの国立大経済学部を出て、教授の薦めるままに、潰れる心配がなさそうな中堅の老舗に就職し、恋愛もろくにしてないが、親戚の仲介で結婚して、なんとか一軒家を建て、娘も大学に行かせた。傍から見れば、今でも夫婦円満のように見えている。恋愛と結婚は別物だといわれるが、愛情がなくても結婚は成立するし、続けられるのだ。
 でも、ずっと、これは本当の私じゃないと思っていた。「普通」であることにずっと縛られていた気がする。
 しかし、夏菜子と打ち解けてからは、夏菜子の優しさにすっぽりと包まれて、そんな「普通」から解き放たれた気がした。

 私がそんな考えに耽っていると、夏菜子が急に話しかけてきた。
「奥さん、まだクマちゃん抱っこしてるの?」
「ああ、まだクマちゃんと仲良しだよ」
「奥さんと仲良くしなきゃダメ。私と約束できる?」
「ああ」
 と返事はしたものの、その気はさらさらなない。
 夏菜子は、私の気持ちを見透かしたように、
「奥さんとのこと、今度、会った時に必ず報告すること」
 と、さも大事なことのように念を押してきた。
 私は、苦笑しながら、
「わかりました。必ず報告します」
 と、改まった口調で答えたが、どうしたものかと悩んでしまった。
 夏菜子と出会ってから、あちらの体調は、回復しつつある。しかし、どうも、妻と営む気には、なれないのだ。

 しばらく妻とのことを考えていると、夏菜子が突然、
「吉田さんは、私としたいと思ったことないの?」
 と、私の目を見つめて聞いてきた。
「えっ」
 何かの聞き間違いかと思って、夏菜子を見ると、
「私と、したい?」
 と、繰り返し聞いてきた。
 私は唖然として返す言葉を失ったが、なんとか取り繕って、
「このお店は、そんなことしゃダメなんだろう」
 と、うろたえながら答えるのが精一杯だった。
 夏菜子は、吹き出しそうになりながら、
「うそ、うそ。奥さんと仲良くするって言ったから、からかってみただけ。ごめんなさい。夏菜子が、そんなことするわけないでしょ」
 と、肩を振るわせて笑っていた。

(つづく)

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