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「~と思います。」をいっぱい使っていいと思います。 #聞いてよ20歳

高校の全校集会で、校長先生が、生徒に向かって言いました。

「君たちは、日本の頭脳になれ。」

続いて、生徒会長がみんなに言いました。

「私は、日本の心臓になりたい。」

私は、思いました。

「どうせ、おれらは、手足だよ。」

大学生になって、車の免許を取ると、私は、せっせ、せっせと彼女の送り迎えをするようになりました。いわゆる、アッシー君です。アッシー君、わかりますか。

文章を書く時、「~と思います。」を使うなと、よく言われます。

「~と思います。」と言ったとき、主語は、になるから、その文章は、主観的になる。客観的な文章をめざすなら、「~と思います。」は、使ってはいけない。
「~と思います。」は、断定しない表現なので、逃げであり、無責任だ。

と、いった趣旨から、使うなと言われているようです。

確かに、会社で書く文章は、よほどのことがない限り、「~と思います。」を使いません。だって、肩書で書いてるんですから、私の主観が入らないのは当然ですし、「大丈夫だと思います。」なんて言われたら、相手は、不安でたまりませんから。

でも、最近、そういうのって、バカらしくなってきました。

私は、日本の頭脳でも心臓でも手足でもない。私は、私が思う世界の中の私なんだ。

そう考えると、「は、~と思います。」が、悪くなくなります。

は、~と思います。」は、その時の私の感情や願望を、素直に打ち出している表現ではないでしょうか。私は、日本の頭脳でも心臓でも手足でもない。私は、切り売りされた私じゃないんです。私には、私の世界がある。そう考えるのなら、私の主観で、「は、~と思います。」と言う方が私の考えを正確に表すのではないでしょうか。

客観性、エビデンスなんて、ちゃっちゃらおかしいです。客観性もエビデンスも後付けの屁理屈にすぎないんですから。

は、~と思います。」を使って、私の世界、私の主観をどんどん表現しましょうよ。

「~と思います。」は、イメージで語ることを許します。なので、想像の翼を広げてくれます。クリアで論理的なことしか語れないとしたら、窮屈で、縮こまってしまいますよね。「~と思います。」を使うと、イメージしたことをイメージのままに語れます。

また、「~と思います。」は、いくつもの可能性の中をさまよって、現時点で、たどり着いたひとつの可能性を表しているのではないでしょうか。だから、「~と思います。」と言ったとき、選択されなかった他の可能性は、まだ、生きているのです。「~だ。」と断定した時、これらの可能性は、どこかに吹き飛んでしまいます。「~と思います。」は、逃げではありません、可能性を残している表現なのです。

「~だ。」と断言することは、方向性を示すリーダーには必要でしょう。だって、リーダーが「~だ。」と断言しなければ、みんなどっちを向いていいか、わからないですから。厳しいことをいうようですが、リーダーに、失敗は許されません。だから、「~だ。」と断言して、責任を明らかにする必要があるのです。

甘ったれているのかもしれませんが、私たちの多くは、日本の頭脳や心臓と言われるようなリーダーではありません。多少の失敗は許されるのでしょう。だとしたら、「~と思います。」を使うことは、失敗した時の他の可能性を示唆する謙虚な表現であって、決して、逃げでもなければ、無責任な態度でもないのです。

「~と思います。」は、イメージを語ることで想像の翼を広げることができる表現ですし、また、他の取りうる手段があることを示唆している謙虚な態度でもあるのです。

なので、「~と思います。」は、いっぱい使っていいと思います

でも、この記事を真に受けて、ESに「~と思います。」を多用することは、よくないと思います

この記事は、きゆかさんの「聞いてよ20歳!コンテスト」に参加しています。きゆかさん、素敵な企画ありがとうございます。

(おわり)

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