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青くて四角いくすり③

 私と目が合うと、夏菜子は起き上がり、事務的な口調で、
「先にシャワーを浴びてきてください。その間に準備しときますから」
 といって、服を脱ぎ始めた。

 オナクラは、いわゆる〇番行為がない風俗店である。オナクラの中でも、キスやオーラルなどの粘膜接触がある比較的ヘルスに近いお店と、そういった行為のないソフトなお店があるが、このお店は、ソフトな部類に属している。青いくすりが必要な私には、ちょうどいい感じだ。

 一通りのサービスを終えると、夏菜子が、
「ここまでが、このお店の通常のサービスなんですよ」
 と、確かめるようにして、私の顔をのぞき込んだ。
「満足していただけましたか?  」
「ああ」
 と、ベッドで横になったまま、うなずいてみたものの、夏菜子が「通常の」に力を入れて話したのが、妙に気になった。

「今日は、お休みなんですか? 」
「ううん、ちがうよ」
「じゃあ、どうして? 」
「出張で近くまで来たんだ」
「どうりで、ネクタイ姿だったから、不思議に思ってたんです」
 言われてみれば、ネクタイ姿でオナクラに来る客もめずらしいのだろう。でも、仕事を抜け出して来たなんて口が裂けても言えない。一応は、課長を勤めた身なので、そんな、だらしない男だとは思われたくはないのだ。どうせ、もう二度と会うことはないのだから、これくらいの嘘は構わないだろう。

 一応、夏菜子にも、ラブホには場違いな服装で来た理由を聞いてみることにした。
「君はどうして? 」
   まあ、リクスー姿の理由なんて聞かずと知れている。

 それより、夏菜子の前髪が気になって仕方がない。額に垂れた前髪が目にかかりそうになっている。夏菜子がそうするより先に、指先でそっとかき分けてやると、ぽつぽつとした赤い出来物が見えてきた。彼女は、どうしようもなく若いのだ。

   髪をもてあそぶ私の右手を、夏菜子は、そっと両手で包んで、布団の中にしまい込むと、
「面接だったんですよ、就職面接。でも、ダメかな、いい反応なかったし」
 と、仰向けになりながら、独り言のように呟いた。

   今頃になって、夏菜子が布団からはみ出していることに気づいた私は、横で丸まっている布団を伸ばして、彼女の腰に掛けてやった。
   すると、夏菜子が問いかけてきた。
「どんなお仕事というか、業界なんですか?  」

 業界という言葉に就活生を感じたので、正直に答えることにした。
「商社だけど」
 一昔前の商社は、飛ぶ鳥を落とす勢いがあったが、現在のIT業界の興隆と比べると、凋落の感を否めない。それでも、学生にとっては、憧れの的であることに変わりない。就活生の夏菜子が、どんな反応を示すか楽しみだ。

 とはいっても、私の勤めているのは、商社といえど専門商社、しかも、かつては中堅といわれていたものの、現在は、新興に追い抜かれ細々と生き延びているような、平たくいえば、地場の繊維問屋なのである。

「商社か、世界を股にかけるやつですね。ところで、吉田さん。あー、吉田さんって呼び方でいいですよね。世界って、例えば、どんな国に行かれたんですか?  」
 無邪気にきいてくる夏菜子に、本心しまったと思った。地場の繊維問屋勤めで、海外なんて行けるはずもない。また、嘘をつかなくてはならない。それはいいとして、外国語がからきしダメな私が、どこの国と答えようと、その国の言葉なんて話せない。まあいい、適当に答えておくことにした。

「世界中を駆け回ってるんだ。どこの国と言われてもなぁ、先週は、イタリアに行ってきたよ」
「イタリアですか、ピサの斜塔しかわかんないな。そういえば、私のお客さんで、もう一人、吉田さんって人がいるんですけど、この前、イタリアのお土産だと言って、『バッチ』とかいうチョコくれたんですよ。イタリアでは人気だって」
「あー、『バッチ』のチョコなぁ、あの丸いやつ。甘いもの好きじゃないから食べたことないけど、美味しいんだってね」

 適当に誤魔化して、話題を変えることにした。
「何学部? 」
「何学部に見えますか? 」
「文学部? 」
「違います。最近は、女の子もいろんな学部に行くんですよ。私は、文系なんですけど、理系みたいに情報が学べる学部に行ってるんです」
「そうか、文系で理系、よく分からないけど、何かやりたいことがあるんだね。将来何になりたいの? 」
「実をいえば、やりたいことがあるとかじゃなくて、高卒じゃどうしても嫌で、大学に行きたかったんです。行けそうな大学があって、そこで入れそうだったのが、今の学部なんですよ」

 こういう会話を寝物語というそうだ。ベッドの上で、男女が余韻に浸りながら、たわいのない会話を交わす。
   昔のテレビドラマなんか見ていると、腕枕をされた女が、男の語る寝物語にうっとりと聞き入っている。すると、なぜか突然、男が用事を思い出し、身づくろいをし始める。「もう、帰ってしまうの」と女が嘆くといった具合だ。

 しかし、夏菜子は違っていた。
「お時間です」
 私は、あっという間に現実に引き戻されてしまった。

 夏菜子と初めて出会った日は、こんな感じだった。
(つづく)

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