見出し画像

ポテサラ【#夜更けのおつまみ】

「ポテサラならあるわよ。」と、残業から帰り、ひと風呂浴びてすっきりした私に妻が言う。冷蔵庫から出てきたのは、ガラスの小鉢に入り、ラップがかけられたポテサラと350mlの缶ビール。そういえば、今朝、妻と娘でポテサラを作るって言ってたっけ。飲まずに、まっすぐ家に帰って夕飯食べればよかった。こんな夜更けに、ポテサラ食べて太るのはいやだけど、作ってくれた娘に悪いから、ありがたくポテサラをいただくことにした。
ラップをはずすと、小鉢からポテサラが顔を出す。妻か娘のどちらの手によるかは知らないが、白ご飯のように、どさっと盛り付けたそのボリューム感がいい。我が家のポテサラは、オーソドックスなものなのだと思う。じゃがいも、きゅうり、にんじん、ハム、卵が入っていて、これにマヨネーズを加えて、こねくり回して作ってある。詳しい作り方は知らないけど、ポテサラなのにポテトが少ないように思うのは気のせいだろうか。健康のためと言われても、夜更けにポテサラ食べさせられたら、元も子もないんじゃないかと思ってしまうのは、わがままなんだろう。私は、本来、ポテサラには、味が付いていないと思う。だからこそ、コショウやマヨネーズで味をつけているのではないか。別にわが家のポテサラの悪口を言うわけではないが、オーソドックスなポテサラ自体には、味がないと思っている。

夜遅く帰っても、奥さんがビールとおつまみを用意して待っていてくれる。しかも、今夜は、妻と娘の手作りポテサラだ。お前は、なんの不満があるんだと思うかもしれないが、なんだか箸が進まない。
妻と娘には、秘密なんだけど、私が食べたいポテサラは、こんなポテサラじゃなくて、お肉屋さんで売っている少し酸っぱいポテサラだ。お肉屋さんは、コロッケを作る。コロッケを作るには、じゃがいもがいるが、その余った分で、ポテサラを作っているのだろう。余り物かもしれないが、お肉屋さんの酸っぱいポテサラは、どこの家庭でも出せない美味しさだと思う。

お肉屋さんのポテサラには、少し酸っぱい思い出がある。私が中学生だったころ、亡き父は、言うのも恥ずかしいが、競輪、競馬、競艇、パチンコをはじめ、あらゆるギャンブルに手を出していた。おかげで、実家は借金だらけ、父は職を失い、母は朝から晩まで働きづめに働く羽目となった。そんなわけで、夕食は、父と二人でとることが多かった。たまに、父がギャンブルに勝つと、きまって、お肉屋さんでトンカツとポテサラを1つずつ買ってくる。トンカツは、皿に載せて私に、ポテサラは、パックのまま父の前に置かれる。私がトンカツにかぶりついていると、父は、テーブルと斜に座って、テレビを見ながら、瓶ビールをグラスに注ぎ、パックのポテサラをつまんでいた。そんな父と目が合うと、父は、パックからポテサラをひとすくいして、私の皿に載せてくれた。お返しというわけではないが、2切れくらいのトンカツを父のパックの蓋の上に載せるのだが、父は目もくれず、笑いながらテレビを見ていた。たまに、お肉屋さんの酸っぱいポテサラを食べると、父のことを思い出す。自分の好き勝手に生きた人だったけど、なぜか憎めなかったし、好きだった。私だって、父のように家族への迷惑を顧みず、好き放題に生きてみたいと思う時もあるけれど、我慢してるだけなんだ。みんな、そうだと思うけど。

あくまで私の感想なのだが、ポテサラって、ビールは、もちろん、他のどんなお酒にも合うような気がする。それはきっと、ポテサラには、際立った味の素材が入っていないからだと思う。じゃがいも、きゅうり、にんじん、ハム、卵も、みんな好き勝手に味を主張したりはしない。それが、ビールやお酒のおつまみに合う理由なのだと思う。でも、私は、オーソドックスな味が付いていないポテサラより、お肉屋さんの酸っぱいポテサラが好きだ。たまに、無性に食べたくなると、お肉屋さんに行って、なぜかコロッケとポテサラだけ買って帰ってしまうことがあるくらいだ。ああ、お肉屋さんの酸っぱいポテサラが食べたい。そう思いながら、わが家のポテサラを食べていると、だんだん酸っぱく感じてきた。
「おい、娘。しっかり混ぜたんだろうな。」
と、言いたくなったが、そう感じただけなんだろう。だんだん、眠たくなってきた。
「おやすみ、みんな。美味しかったよ、ありがとう。」
(おわり)

サポート代は、くまのハルコが大好きなあんぱんを買うために使わせていただきます。