青くて四角いくすり⑤
ほんとうにハンバーグを作ってくるか試してみよう。
そんな気分にさせられて、また、夏菜子に会いに行った。
夏菜子は開口一番、
「ごめん、ハンバーグ無理だった。これで許して」
と、小さな花柄の紙袋を、私の目の前に差し出した。
中を覗いてみると、小さなカップケーキが5つ、アルミ箔に包まれて、こちらに顔を向けている。
「食べてみて」
夏菜子は、私がどんな反応をするか興味深げに見つめている。
アルミ箔を少しめくって、一口かじってみると、ほのかにミルクの風味を感じたが、少しパサついているのが気になった。
「おいしい?」
夏菜子は、無理にでも、おいしいと言わせたいらしい。
「おいしいよ。さすが、夏菜ちゃん。お菓子が作り上手だね」
と、笑顔で答えると、アルミ箔を全開にして、おむすびをかじるように、がぶり、がぶりと平らげてみせた。
また、いつもと同じことを済ませた。
二人で天井を眺めていると、夏菜子から話しかけてきた。
「私ね、奨学金もらって、大学に行ってるの。親は二人とも高卒なんだけど、どうしても大学に行ってみたかったんだ。こう見えても、高校の成績はよかったんだよ。大学に行って、下宿もしてみたかった。でもね、奨学金もらっただけじゃ、お金足りないの。親に下宿代を少しは負担してもらってるんだけれど、食費や服にもお金がいるし、親にこれ以上迷惑かけられないから、たくさんバイトしてきたんだ。でも、もう疲れちゃった」
夏菜子はすべてを言い終えると、小さくため息をついた。
「そうなんだ」
私は、ぽつりと呟くと、自分の学生時代のことを思い出していた。
家に金がなく、奨学金をもらって大学に行ったものの、周りの学生が遊び呆けているのを横目に、バイトばかりで明け暮れた学生時代。
夏菜子も昔の私と同じ境遇にいて、つらい目にあってるのだと思うと、急に抱きしめてやりたくなった。
すると、それより早く、夏菜子が私の手を握りしめてきた。私は、応えるようにさらに強く夏菜子の手を握りかえした。
夏菜子は、振り切ったような明るい声で、
「私、居酒屋でバイトしてるんだ。このバイトはね、ずっと続けているの。こういうお仕事してるけど、普通にバイトしてるんだよ。夏菜子の居酒屋さん姿、見てみたいでしょう。今度、お客さんで来てみてよ」
と、彼女が勤める駅前の居酒屋に誘ってくれた。
鉄道が複雑に交錯するこのターミナル駅の周りには、ホテルや百貨店、オフィスビルなどの高層建築が建ち並ぶ。
付近には、高級クラブや料亭が林立する歓楽街があるのだが、夏菜子が働く居酒屋は、そこから程遠い私鉄の高架下を利用した飲み屋街の一角にある。
こんな居酒屋に一人で来るのは何年ぶりだろう。同僚や部下と、たまに居酒屋でひと息つくことはあったが、一人で飲みに出るとなると、何だか落ちぶれた感じがして嫌だった。
でも、課長職を解かれた今となっては、お似合いかもしれないなと思いながら、お店の古びた暖簾をめくると、店の内は白熱球に照らされて、温かみを帯びた光に包まれていた。
手前に3席、奥に7席のカウンターと、通路を挟んで反対側には、6卓のテーブル席がある。
場所柄か、サラリーマン風の客が多いようだ。スーツを脱ぎ、ネクタイを弛めて、枝豆をつまんだり、焼き鳥にかじりついたりしながら、ジョッキを傾け、二人、三人で何かしら熱心に語り合っている。
私にも、こんな時代があったなと感慨に浸っていると、私を見つけた夏菜子が、客の合間をすり抜けて、私の前にやって来た。髪を後ろで束ねて、黒のTシャツとジーンズの上に、お店のハッピを羽織っている。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか、こちらへどうぞ」
夏菜子は、マニュアルどおりの台詞を、元気いっぱい私に掛けると、無邪気に笑って見せた。
私は、夏菜子に、家の玄関で「お帰りなさい」と迎えられたように思った。なんと言っても、いま目の前にいる夏菜子が一番気に入った。この姿は一生脳裏に焼き付いて離れないと思う。
夏菜子は、カウンターの奥から2番目の席に私を案内すると、店の奥に入り、おしぼりとつきだしを持ってきた。
「何になさいますか」
居酒屋姿がすっかり板についた感じの夏菜子に見惚れていると、
「ここは、つくねが美味しいんだよ」
と、小声で教えてくれたので、
「とりあえず、生中とつくね、それにカンパチをお願い」
と注文した後、夏菜子にそっと「ありがとう」と目配せをした。
カウンターの奥では、ハッピにはちまき姿の大将が忙しそうに立ち回っている。
しばらくすると、夏菜子が料理を運んできた。
「ゆっくりしていってね」
という言葉を残して、夏菜子が立ち去ると、私は一人きりになってしまった。
仕方なく、まずは、ジョッキに口を付けた。
店の騒がしさの中で、一人、酒を飲んでいると、いろんな思いが頭をよぎる。
「学生時代に、夏菜子と出会ってたら。きっと、彼女に惚れ込んで、猛烈にアタックしただろう。」
まあ、結果は見えてる。でも、そんな恋に落ちることさえなかった寂しい学生時代だった。恋といえる恋をした覚えはない。
結婚は、会社に入ってだいぶ経ってから、叔父が薦めた見合い相手と、相性というよりも、双方待ったなしということで決まったものだった。だから、熱烈な恋というものをまったく知らないのだ。
そんな妻とも、今まで何とかやってきたのだが、愛情というものは、わからないままでいる。
そういえば、夏菜子が何気なく、
「奥さんと、一緒に寝てるの?」
と、聞いたことがある。
「昔は、娘を真ん中に寝かせて川の字になって寝てたけど、今は、妻がくまのぬいぐるみを抱っこして寝ているよ」
と、答えたら、
「くまちゃんに代わってもらって、奥さんを抱っこしなくちゃ」
と、笑ってたのを思い出した。
そんなことを思い出しながら、酒を進めていると、不意に、夏菜子がやってきて、
「ほい、何考えてたの。お酒まだ進んでないよ」
と、テンポよく話しかけてきた。
「あんまり強い方じゃないんだ」
と、ジョッキを回しながら答えると、
「そう、ほどほどにね。これ、私からのサービス、熱々だから気を付けてね」
といって、鉄皿に乗った豆腐ハンバーグを置いていった。
(つづく)
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