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東京

なんで、今日という日にかぎって、眼鏡を持ってこなかったのだろう。

昭和のある日のこと。

山手線の駅で電車が止まり、ドアが開くと、そこには、灰色のスーツを着た男たちが規則正しく並んだでいた。詰め入りの学生服を見られてる気がして恥ずかしかったけど、そんなことどうでもいいやと、人の流れに乗って階段を降り始める。足元がおぼつかないが、前の人にくっ付いて、ようやっと階段を降り切ると、受験の時、一度通った見覚えのある改札口が見えた。制帽を被った駅員さんに切符を渡して、外へ出る。

大きな大学がある駅なのに、駅前は、看板と人だらけで、せまっ苦しい。頭の上から、国電(現JR)が、駅に滑り込む音が聞こえた。

少しぼやけた風景の中に、ひときわ大きな予備校の看板を見つけ、そのビルの右手を通る狭い路地に向かった。

大学に通じるこの路地を進んで行くと、これでもかというほどの人とすれ違う。大学生、同じサークルの人達、カップル、バイト中の人。はっきりとは見えないけど、近くから、笑い声が聞こえてくる。春からは、見慣れたものになるであろうこの街の光景を少しつまみ食いしながら、路地を通り過ぎると、バスやタクシーが、クラクションを鳴らしながら行き交う大きな交差点に出くわした。

交差点の向こう側に、とんがった時計台のある講堂が見える。

構内を突っ切る大きな通路の左右に、レンガ造りのしょうしゃな館、コンクリ色の無機質なビル、その他いろんな年代に建てられた何号館と呼ばれる建物が、所狭しと建ち並んでいる。通路の両端には、木立が、その奥には、雲ひとつない青空が、このキャンパスのそっけなさを隠しているように見えた。

正門を通り抜け、真ん中の大きな通路を真っ直ぐに突き進む。

バンザーイの声がする方向を見ないように気を付けて歩いて行くと、法学部4号館にたどり着いた。

4号館には、ベニヤ板を貼り合わせて作った大きな合格発表掲示板が既に立て掛けられている。前の壁だけでは足らなかったのか、横の壁までが白い掲示板で覆われ、いささか「こも」を着た赤松のような様相になっていた。

今では、ネットでの合格発表が当たり前になっているが、私が受験生だった頃は、大学の掲示板に合格者の受験番号を掲載する方法しかなく、まあ、厳密にいうと、学生が電報で知らせるという小遣い稼ぎのサービスもあったのだが、あてにならないので、たいていは、その大学に直接見に行き、合否が分かると、すぐさま、近くの公衆電話から、心配している親に結果を伝えていた。私も、今日、公衆電話をかけるため、制服の右ポケットの中に、硬貨をいっぱい詰めたビニール袋を入れている。当時、田舎から東京に電話をかけるには、相当な枚数の十円玉が必要だった。

私が4号館に到着した頃は、合格発表から少し時間が経っていたので、人影もまばらになり、周りを気にせずに番号を探すことができた。

4号館の正面から1万番代、2万番代・・・5万番代、私の番号62508は、どうやら横の壁のようだ。

横の壁に移って、6万1千、6万2千、62501がベニア板の真ん中の一番下にあった。

次の番号は、隣の列の一番上。

板を見上げるが、ピントが合わない。62508なのか。

ひとつ下の番号は、62521なのは分かる。

もう一度、腰くらいの位置にある62501から、右上を見上げてみる。

上から二番目の番号は見えるのに、一番上の番号だけが、どうしてもはっきり見えない。

目が線になるくらい細めてみるが、やはり、無理だ。

隣に眼鏡をかけた男の子がいたから、見てもらえないかと、声をかけようとしたが、もし、番号がなかったら、男の子が困るだろうと思って、やめた。

ほんとは、62508は、あっても、無くてもよかった。

どのみち、来られる大学ではなかったのだ。学費に加え、東京での下宿代。たとえ奨学金がもらえたとしても、親からの仕送りなしにやっていけるはずはなかった。

だから、62508は、無くてよかったんだ。

ポケットの中の硬貨に触れると、急に、電話をかけなくてはいけないことを思い出した。

森の奥に来てしまったヘンゼルとグレーテルが、パン屑をたよりに、家に帰ろうとした時のように、ついさっき来た道を戻り始めた。

バンザイの声、時計台のある講堂、大きな交差点、狭い路地。

路地の中ほどにあるタバコ屋さんの軒下に、小さな赤い公衆電話が置いてあった。その前には、人の列。電話をかけようとして、ポケットの中の硬貨をまさぐってみたが、人が多くて無理だとあきらめた。みんな、どんな顔をしているのか、ぼやけてしまって、わからない。というか、はっきりと見る気がしなかったが、もう、関係ない。

路地の先には、国電がのっそりと動き出す姿が見えた。改札で、さっきの駅員さんに切符を切ってもらい、ホームへ。

黄緑色の電車が、ホームに滑り込んできて、ドアが開いた。

入り口で、つまづいて、反対のドアまで、一気に突っ走った勢いで、両手を窓についてしまった。

電車が動き出す。

とんがった時計台が、すこしずつ後ろに離れて行った。

東京、東京。

ドアが開き、駅のアナウンスが聞こえた。

階段を降り、コンコースへ。

東海道新幹線、東北新幹線、在来線、それぞれの改札口へ急ぐ人の波に、一瞬立ち尽くしてしまった。

ふと、前を見ると、小さなキヨスクの横に、黄緑色の公衆電話が置いてある。

誰もいない公衆電話に急ごうと、ポケットから、硬貨の入ったビニール袋を取り出し、右手に握りしめて駆け出した。

コンコースの中ほどまで差しかかった時、何もないはずなのに、何かにつまづいて、急につんのめり、右手から、硬貨の入ったビニール袋が、勢いよく、前に飛び出した。

じゃりーん。

宙に舞ったビニール袋が、床に落ち、はじける。

百円玉、五十円玉、十円玉・・・、放射線状に飛び散る硬貨が床に描く軌跡を眺めながら、しばらく、その場に立ち尽くしていた。

重い硬貨ほど遠くへ転がり、軽い硬貨は足元にとどまる。

大量の人の波が、硬貨を飲み込み、踏みにじっていく。

革靴、パンプス、スニーカー、革靴、革靴、革靴、革靴、革靴・・・。

革靴たちが、硬貨を腹で踏みつけ、床にこすりつけ、後ろの革靴にパスして去って行く。

硬貨は、床にこすりつけられながらも、微妙に位置を変えながら、その場にとどまっていたので、拾おうとして、ひざまずき、ビニール袋を手にしたその瞬間、前からスーツをまとった手が伸びてくるのが見えた。

人情という言葉が、頭をよぎったのは一瞬だった。

その手が、百円玉をさらうと、さっと上着のポケットにしまい、何食わぬ顔をして、去って行った。

次の手も、その次の手も。

視界から硬貨がどんどん消えていく。

わずかに残った十円玉と五円玉、一円玉を、かき集め、ビニール袋に入れて立ち上がると、両手で裾を払った。

目を上げると、黄緑色の公衆電話が、通路の向こう側に、少しだけかすんで見えた。

(おわり)


この記事は、#磨け感情解像度のコンテストに参加するものです。illyさん、素敵な企画ありがとうございます。


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