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やってあげられる幸せ、やってあげられない悔しさ

今日、6月1日は僕の祖母の誕生日。
母方の祖母で、今年で米寿を迎えます。

僕は幼少の頃からいわゆる「おばあちゃん子」でした。
何かと祖母の自宅に遊びに行き、遊んでもらい、おやつにハーゲンダッツのアイスを食べる。
そんな日々が子供ながらに大好きでした。

祖母の自宅は3階建てのビルの2階部分。
1階は社屋。
3階は展示場。
展示場は今はただのモノ置き場と化していますが。
祖父母は結婚して間もなく脱サラし独立。
50年を超えて今なお続く会社の創業者です。
今は母が継ぎ、僕はそれを一部支える役割も担っています。


僕には2つ下の妹がいます。
日本の古き良き伝統文化「歌舞伎」「日本舞踊」、この世界で芸能家として日々戦っています。
彼女がその世界に足を踏み入れたのは3歳の頃。
祖母の勧めがキッカケでした。

古き良き伝統文化には一般人にはなかなか超えられない壁もあり、それが「舞台」。
これは悪しき習慣でもあるんですが、とにかくお金が必要。
舞台を踏むにはまずはお師匠さんへのお礼金うん十万〜うん百万円。別でちゃんとお月謝もあるんですよ。
自分が出ない舞台でも「お客さんを呼びなさい」とチケットの販売。
販売の前にそのノルマ分のチケットを買い取らなければならないので、それにうん十万〜うん百万円。
結果的に一つの舞台のために100〜300万円は必要。多い時は500超えてたかな。
こんなことが年に3回程。

ゾッとします。

このお金、いつも祖母の財布から出てきていました。
何も言わず、20年以上。

ありがたい反面、両親としては複雑な気持ちだっただろうなと今になって思ったりもします。


これは祖母も、そして僕の両親の口癖でもあります。
「やってあげられる幸せ。やってあげられない悔しさ。」


祖母も、母を産んだ頃は余裕のない日々を送っていたそうです。
生まれつき目の悪かった祖母は、その頃はまだなんとか見えていたものの徐々に見えなくなり、今では周りが明るいのか暗いのかもわからなくなっています。
障害者であることで就職もままならない中、贅沢は出来ず、子供であった僕の母に十分なことをしてやれなかった、そんな思いがとても強かったそうです。
だから今こうやって自分の子の子、孫にやってあげられることは幸せなんだ。それが結果的にあなた(僕の母)の力に少しでもなれているなら。と、僕の両親に話しているのを、少し離れたところから立ち聞いたことを今になっても鮮明に覚えています。



やってあげられる幸せ。
やってあげられない悔しさ。



これはそのどちらをも経験したからこその、重みのある想いの詰まった言葉。
そして今では僕もやってあげる側の立場。


また逆も然りです。
やってもらえないと嘆くのではない。
やってもらうのが当たり前でもない。

そのどちらにも、
その人の目一杯の想いが詰まっている。

それを忘れてはならないと、
改めて考え直す祖母の米寿の誕生日。

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