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RAPTブログに学ぶ、日本人最大の欠点を克服する唯一の方法。


先日、私の小学生の息子の修学旅行があり、主な行き先は、栃木県日光市にある華厳の滝と日光東照宮でした。

私は、小学生が日光東照宮の様な神社仏閣に行って楽しめるものなのかと疑問に思っていたのですが、案の定帰ってくるなり「日光東照宮はつまらなかった」と話していました。

しかも東照宮の中には様々な建物や仏像があり、それがとても怖い表情をしていたり、覗き込むと仏像の目だけが見える様なものがあったりととても気味が悪く、建物の中に入ってお経まで聞かされたため、疲れ果ててしまったのだそうです。

その後インターネット上で公開された息子たちが映る修学旅行の写真を見た所、1日目に行った華厳の滝などでは皆んな生き生きと楽しそうに映っていたのですが、2日目の日光東照宮では、息子だけではなく、皆んながとてもつまらなそうにしていて、ただ連れて来られたからここに居るという様な感じが伝わり、今後は行き先を変更した方が良いのではないかと感じるしかありませんでした。


というのも私はRAPTブログから、神社仏閣に祀られているのは神様ではなく悪魔であり、仏教は悪魔を拝む宗教である事を知りました。

神社仏閣に潜む悪魔たち。またはアガルタから悪魔のメッセージを伝える人たち。

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仏教の「お経」や「真言」が悪魔を召喚するための呪文であり、仏教が悪魔教であるという確たる証拠。

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やはり「釈迦」は紛れもない悪魔崇拝者でした。その確固たる証拠をお見せします。

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私はそれを知った時、自分が幼い頃から当たり前の様に行っていた風習が、悪魔を拝んでいる事になっていたとは微塵も思っていなかったため、本当に驚きました。

上記に紹介した記事以外にもRAPTブログには、日本に根付くあらゆる神様が悪魔だと示して下さる記事が沢山あり、今まで自分が神社仏閣に行ってお祈りした事が叶えられた経験が一度も無かった事や、神様なのに願う度にお賽銭を要求する事への疑問、最も位の上の神様を祀らなければ神様が嫉妬するという言い伝えに、神様なのにそんなに心が狭いのか?など、幼い頃から自分の中にあった疑問が、神様ではなく悪魔だったと教えて頂いた事によってスッキリとし、本当に自分が悪魔を拝んでいたのだと納得せざるを得ませんでした。

ですので小学生が、悪魔が祀られている場所に行って楽しいと感じるはずもないのですが、先生達は良かれと思ってその場所を選んでいる事に、日本には神社仏閣に行く事はとても良い事だとする考えがどこまでも根付いているのだと改めて実感しました。


これまで、日本人の中に当たり前に根付く神社仏閣や仏壇、神棚に向かって祈るという風習がどれ程恐ろしい事なのか、RAPTブログがこの世に登場するまで私たちは知る由もありませんでした。

しかしRAPTさんが、日本や世界中に根付く悪魔崇拝の全てをことごとく暴いて下さり、その様な中でも悪魔の影響を一切受ける事なく、常に心に喜びと希望が満ち溢れる生き方を、今でも教えて続けて下さっています。


悪魔とは空想の産物ではなく、架空の存在でもありません。悪魔崇拝者たちはそんな非現実的なものを拝む連中ではありません。

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「神」も「悪魔」も「あの世」もないという無知蒙昧な人たち。人は自分の理解を超えたものを「異端」としたがります。

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悪魔を拝むという事は、悪魔の力を自分や世の中に臨ませるという事であり、真剣に悪魔を拝めば拝む程、その力は強くなっていきます。

ですので風習として、当たり前に行うべき良い事として、神社仏閣に行って祈る事は、知らずに悪魔の影響を何らかの形で自分やこの地に及ぼす行為であり、熱心に祈る人程人生が不幸になるのは当然の事なのだとRAPTさんは教えて下さいました。


それと同時にこの日本には、RAPTブログに出会う以前の私の様に、神はいないと信じて疑わず、宗教は全て悪いものだと考え、宗教を信じる人達は皆んな騙された可哀想な人達だと思って生きている人がとても多い様に思います。

私はRAPTブログから、日本人にその様に思わせ、本当の宗教、本当の神様に出会えない様に悪魔や悪魔崇拝者達に誘導され続けていた事を教えて頂き、結局悪魔がやりたかった事は、私たちを人生の本質からあらゆる方法で目を逸らさせ、マスメディアやインターネットを巧みに使って洗脳し、この世には、信じようと信じまいと、神様という人間を遥かに超えた方が存在し、その方が私たち人間をどこまでも幸せな人生を歩める様にと働きかけて下さっているという確固たる事実を隠す事だったのだとRAPTブログから学び、神社仏閣に行って拝まされていた事も、その一環だった事を知りました。

そんな中で、日本人の宗教に対する考え方はどの様なものなのか、気になって調べてみると、こんな記事に出会いました。

無神論者が多いと言われる日本ですが、お守りを切って捨てる事が出来なかったり、先祖に守ってもらえる様に先祖供養を行ったり、山などの自然にどこか神々しさを感じていたり、祟りを信じていたりと、目には見えない霊的な存在を、外国人の様に心から信じるのではなく、感じているのが日本人なのだそうです。

しかし私はこの記事を読み、感じているだけではどうしようもないのではないかと思い、霊的な存在を感じた上でどの様に生きれば良いのかが重要であり、日本ではそこがすっぽり抜け落ちているのだと感じ、神様という確固たる存在が私たちを常に見守り導いてくれるという信仰があるからこそ、心に希望が湧き、常に前向きに生きられるのだと、私はRAPTブログから学び、日々その幸福感に包まれながら今でも生きています。


そしてこのコロナ禍の現状において、海外ではとっくにマスク着用義務が撤廃され、コロナワクチンの危険性に気づいた大勢の人たちがワクチン接種を拒否し、通常の生活に戻っている国が多い中で、日本ではいまだにマスク着用やワクチン接種などの感染対策を強いられ、海外から取り残された状況にあります。


私はどうしてこんなに海外と日本の差が歴然としているのかがずっと不思議だったのですが、結局神様を信じるか信じないかがとても大きく明暗を分けたのだと感じています。

日本で悪魔崇拝の話をすれば、そんなものあるわけがないで終わってしまうのですが、キリスト教の考えが根付いている国では、聖書に登場する悪魔崇拝が、今でも現実に行われている事に何の疑問を持つ事なく、悪魔崇拝なんて行ってはいけない悪いことだと捉えられているのだと以前RAPTさんがInstagramの対談の中で仰られていました。


キリスト教は、言わずと知れた世界三大宗教の一つであり、クリスチャン人口は世界で約24億人いると言われています。

ちなみに日本でキリスト教と聞くと、良い印象を持つ人が少ないと思いますが、クリスマスや結婚式を教会で行う、海外旅行で大聖堂を見に行くなどキリスト教を文化としては受け入れていて、やはりここでも一番大切な教理がすっぽりと抜け落ちている事が分かります。


キリスト教を信じているか信じていないかは別として、キリスト教の考え、教えが当たり前に根付く海外では、”悪魔崇拝をしてる連中がいて、そいつらが自分達の生活を脅かす様な悪さをしている”という考えが根底にあるため、コロナパンデミックにしても、始まって早々に海外ではパンデミックの嘘に気づき、政府の垂れ流す嘘を嘘だと真っ向から否定し、いち早く日常生活が戻るようにデモなどが行われていたのだと考えられます。



この様な現状を見ても分かる通り、日本人の最大の欠点は信仰の無さなのだとRAPTさんは教えて下さいました。

宗教的な文化に慣れ親しみ、そこから一時的に心の慰めを得られることはあっても、一時的では必ず限界が来てしまいます。

世界にはたくさんの宗教がありますが、本物の宗教とは、「徳」が高められるかどうかが本物か偽物かを見分けるポイントなのだと以前RAPTさんが教えて下さり、実際にRAPTブログに出会ってからの私の人生とそれまでの人生を比較すると、180度良い方向へ変わりましたし、人生が大きく変わったということは、考え方が変わったということであり、最も幸せに生きるために、自分の中の排除すべき考えと、持つべき考えを事細かく教えて頂き、その通りに実践したことで、人生が大きく変わったのだと実感し、RAPTさんへの感謝が尽きることはありません。

本物の宗教は人の徳を高めますが、カルトは人の徳を貶めます。しかし、なぜかこの世にはカルトに入って活躍し、光り輝く人がいます。

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本当の自由とは。本当の幸福とは。悪魔の作った偽物の宗教に騙されないために幾つか知っておくべきこと。

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RAPTブログ有料記事を読めば、最初は中々理解出来ないと思うところがあったとしても、読み進めていくうちに、神様は目には見えないけれども、私達が生まれた時から私たちを愛して導いて下さっていたこと、私達が知らなかっただけで、神様が”早く私の愛に気づいてほしい”と心から願い、様々な働きかけをしてきて下さっていたことが分かり、その愛の大きさ、優しさに包み込まれるのを誰でも感じる事ができます。

その素晴らしさを実感して生きているのは私だけではなく、RAPTブログによって本当の神様に出会い、人生を大きく好転させ、驚くべき神業を体験していらっしゃる方々が大勢いらっしゃいます。


こちらは、神様の愛、清らかさが伝わり、心から癒される私の大好きな賛美歌です。



私の拙い文章では神様の愛の素晴らしさを伝えきれない事が本当に歯痒いのですが、これからも精進していきたいと決心する毎日です。

どうか、一人でも多くの方がRAPTブログから神様の愛の偉大さに触れ、本当に幸せな人生を神様と共に歩まれますことを心からお祈りしています。