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いつも喜んで生きられる強さ。


「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙一 第5章16節〜18節)

新約聖書に出て来る聖句の一つです。

私はこの聖句を初めて目にした時、いつも喜んで生きられたらどんなにいいだろうかと希望が湧いてくると同時に、自分には到底無理ではないかと感じていました。

いつも何かしらの不安、悩みを抱えて生きることが当たり前だったため、どんな時も心に喜びがある中で生きられることは理想だけど、現実的ではないと思っていました。

しかし、RAPT BLOG有料記事を読み進める内に、常に心に何かしらの苦しみがあることが異常なことなのだと教えて頂いたことによって、苦しみを抱えて生きることが、自分の中で当たり前になり過ぎて、不安や悩みがあることにより苦しいということは認識していても、それが原因で、自分の人生を狂わせているということまで結びつけて考えていなかったことに気が付きました。

心が苦し過ぎて、その苦しみから逃れようと色々試してみても、いつも一時的に解放されるだけで、すぐに苦しくなってまた心の癒しを求めて彷徨うことを繰り返していた時に出会ったRAPT BLOG

ここにしか答えはないと藁をもすがる思いで有料記事を読み漁り、これがずっと探していた苦しみから逃れる答えだと悟った時の喜びは、今でも忘れることが出来ません。

それから4年がたった今、いつも喜んで生きるということは、神様を信じ愛していれば、理想ではなく、実際に実現できることなのだと感じる様になりました。

RAPT理論によって解明された通り、この世の中は悪人によって支配され、私たちの人生を破綻させるような考えばかりが蔓延っているため、私たちは苦しみの中で生きることを余儀なくされているのが現状です。

しかしその中でも、RAPT氏は、どんなに苦しい状況に追い込まれようと、いつも喜んで生きていらっしゃいます。

次々と悪を倒していくRAPTさんの力の凄まじさを、間近で目の当たりにした体験(十二弟子・NANAさんの証)
自分の中から悪をなくしてこそ、この世の悪人たちに毅然と立ち向かうことができる(十二弟子・KAWATAさんの証)

常識では考えられない様な悪人からの妨害を物ともせず、怯むこと無く、喜んで生きていらっしゃるRAPT氏の現状を知り、いつも喜んで生きるためには強さ、賢さが必要なのだと感じました。

自分の弱さ、間違いを素直に受け入れられる強い心を持ち、その弱さを克服するための知識、知恵を蓄え、神様により頼み、縋り付かなければ、自分の人生を変えることなど出来ないのだと心から認めて祈り求めるからこそ、神様がいつも喜んで生きられる人生を与えて下さるのだと感じています。

私自身、いつもネガティブな考えばかりを抱き、いつも他人を羨んで生きていました。

自分が悪いと常に自分を責め、こんなに可哀想な私を慰めてほしいと思って生きていました。

RAPT氏は、その様な考えは女性特有の、「いつもどんな時も愛されたい」という考えからきていることも教えて下さり、愛されるためには、自分から愛してこそ、自分が愛される人間になれるのだとも教えて下さいました。

女性特有の悪い根性が、女性たち自身を苦しめている(十二弟子・KAWATAさんの証)
神様を信じることで、女性でも夢を叶えて自分らしく生きることができる(十二弟子・エリカさんの証)

信仰を持って生きることによって、ようやく、人から与えられることばかりを求めて生きることの虚しさに気づき、与えられる人になることこそ本当の幸せであり、喜びなのだと感じることが出来る様になりました。

RAPT BLOGに出会い、信仰を持ったからこそ、その様に自分の考えが変わったのだと確信していますし、神様の力を感じざるを得ません。

RAPT氏の様に、いつも何があろうと喜んで生きられる人生を生きられることが、人類にとってどれほど素晴らしいことでしょうか。

心からそれを望み求めるなら、どんな人でも神様が必ず叶えて下さいます。

聖書にはこの様に書かれてあります。

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(マタイによる福音書第7章7節)
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。(フィリピの信徒への手紙第4章6節)


一人でも多くの方が、苦しみから完全に解放され、喜びに満ち溢れた人生を歩まれますことを、心からお祈り致します。