その土地は赤い土と石が益体もなく広がるのみの埃っぽい荒野であった.ところどころ低木が密度の高い枝をそぞろに伸ばしている.雨期には荒野は一面,足場の悪い泥地になり,乾季には干上がって一滴の水も残さなかった.森が発達しないのは悪魔の仕業だということだったが,山脈から流れてきた塩が溜まって植物の生育に適さない不毛の地になったのだとも聞いた. 私は街から車で数十分をかけてやってきた.この地にやってきたのは仕事の他に依頼を受けてのことだった. 私はさる研究機関で測量師の職にある.
いささか古い話になるが,およそ 700 万代前のわたしは魚であった. 海洋の数百メートル下の海底を這うように泳いでいた.わたしの直立した尾ひれで海底に溜まった柔らかな泥を払うともうもうときめの細かい砂の煙がたった.砂に混じって無数の小さな蟲や藻が水中に放り出され,わたしはそれを砂と水ごと吸い込むと濾して糧とした. この海底にいつか迷い込んできた魚に襲われたことがある.それは角張った顎から突き出た獰猛な牙を持っていた.わたしは頭を噛まれたが,私の頭部全体を護る頭骨で防がれ
波は静かだった.カンバスに塗り込められた油絵の具のような波浪が遠くまでだらだらと続き,レールが海面から突き出た夥しい支柱に支えられ海を割るかのように続いていた。 僕はレールを滑るように走る車上にあった. やがて列車の前途に島が見えてきた.それはよくよく見れば奇妙な島だった.幅は数キロといったところだろうか.そのかわりに,縦に引き伸ばされたかのように高い黒い棒のようなものがいくつも立っていた.近づくにつれ,それは人工の建造物であることが了解された.人工といえば,そもそも島
僕は生前よくしてもらっていた祖父の葬儀に参列している. 退色した袈裟を羽織った僧侶が念仏を唱えている.色とりどりの花に囲まれて,祖父は柩に収まっている.父が選んだであろう往年の祖父の写真はまじめくさった表情で,しかし,どことなく茶目っ気のあった祖父の人柄を一瞬のうちに切り取った,いわば素人写真の白眉とでもいうべき一葉であった.たれかが,写真について噂しあっているのが聞こえた. 焼香の順番がまわってきて,僕は焼香台の前に進み出ると急ごしらえで身につけた作法どおりに抹香を静
いつかふたりがいたこの時間も忘れ去られてしまう.忘れてしまうのはこのぼくだ. 怯えるぼくを,まるで面白いものでも見るかのように君は目を細めた. ぼくらはよく放課の教室の隅で話をした. 君には付き合ってる彼氏がいるみたいだったし,ぼくはとうてい告白するなんて思いもよらなかった.ただ席が隣になっただけの仲のよいクラスメートに過ぎなかった. ぼくのおおげさな冗談,言いまわしに君はよく笑ってくれた.ぼくの,すこしだけ妄想癖じみた言動にも静かに耳を傾けてくれた.君は聡明だ
K 県伊須増市は近代から発展した海運業の重要拠点で,太平洋に面している.モダンな様式に建て替えられたことで話題になった伊須増駅を出て,在来線で西に往くこと 1 時間ばかりのところに凛という駅がある.駅を取り囲むように邑落が形成され,南端は海に面しているものの邑の大半は左右を山地に挟まれた格好になっている.地図で見ると,山に埋もれるように僅かな平地に窮々と収まるかたちである. 乗降客もまばらな凛駅に男が降りたったのはすでに日も傾きかけた頃である. 夕刻を告げる鳥の鳴き声が
目覚めるといつもの眠気にくじけそうになりつつも,今日は学校に行こうと心に決めた. 母のつくってくれた目玉焼きとトーストを食べて,私は家を出た.おそらく 8:00 を少しまわったくらい.電車にはギリギリ間に合うはず.長田先生の入ってくる数十秒前に教室に滑り込める計算だ. 駅までのなだらかな坂を下っていく途中で,石塀の上で座り込んでいる黒猫を見かけた.かのじょは私をちらと見ると,めんどくさげに立ち上がり,塀の内に逃げ込んでしまった. 猫はこのあたりに最近居ついたそうで,気
狭い寝床から這い出る.同居人たちは半ばはすでにでかけていて,半ばはまだ眠っている.私は眠っている彼女たちを起こさないように居間に出た. カウンタの上に並んだカップのうち,「5」と大書きされたコースターの上に載ったものをとった.即席のレモネード溶剤を放り込んで,サーバから熱湯を注ぐ.ほろほろと甘い香りが立ち上り,澱のようによどんでいた残り香のような眠気を飛ばしていく.誰かがつけっぱなしにしていったラジオが鳴っている. 居間の壁際に置かれた共用のハンガーラックからスーツを取
私は前著で超心理学の具体例、特に発火能力について網羅的に扱った。キングがパイロキネシスと称したこの超常の現象は、静電気説、脳内の有機的超並列演算(つまり念動力)説,電磁波説などから,あるいは単なる偶然とするものまであらゆる仮説が提唱されたもののいまだに解明に至っていない. この能力を持つものは,パイロキネシス,ファイアスターター,フレイムクリエーターなどと呼ばれ,自然発火を人間の意志にて操る者たちである. これら超常の事象にまつわる論考について詳しくは前著に譲る.ここで
荻窪の下宿で仕事帰りにぼうとしていると,電話が鳴った. S 県は私の郷里だが,ただ広いだけの家に今は父が一人住むだけになっている. 母は私が高校の時分に亡くなった. 私は地元での就職活動に失敗し,東京に出てきて当節流行りのフリーターになった.職を転々としながら数年,幸運にも今では小さなデザイン会社の事務員に正社員として働いている.私のあとから事務として採用された D という女は,しばしば給料の少なさを嘆き,ぼやき,私に同意を求めてくる. S 県の生家には,上京以来帰
妻がパートに出かけていった. その後姿をぼんやり眺めていると,バタンと扉がしまった.一人になった. 冷蔵庫がジーとうなる音が耳朶を震わせた. 少し暑かったが,窓を開けるのは億劫であった.俺はごろりと横になると天井を見上げた. ヒマでなすすべもないことを天井の節穴を数える,というが,まさしく俺は無意識のうちに天井の木目模様を視線でなぞっていた. テレビをつける気にもなれず,益体もないことを考えたりをしばし続けるうちに,ふと横にあった空の灰皿が目に入った. ガラス製で八角の縁にす