帰省

 荻窪の下宿で仕事帰りにぼうとしていると,電話が鳴った.
 S 県は私の郷里だが,ただ広いだけの家に今は父が一人住むだけになっている.
 母は私が高校の時分に亡くなった.
 私は地元での就職活動に失敗し,東京に出てきて当節流行りのフリーターになった.職を転々としながら数年,幸運にも今では小さなデザイン会社の事務員に正社員として働いている.私のあとから事務として採用された D という女は,しばしば給料の少なさを嘆き,ぼやき,私に同意を求めてくる.
 S 県の生家には,上京以来帰っていない.
 父からは時折,電話があった.ひとりさみしいであろうに,当節の父親らしからぬ父の口からは,帰ってこいの一言も出たことがない.もとより父も生家も嫌っているわけでなし.あるいは,父の一言さえあれば,帰ることもあったかもしれないが,最早それは if の話となってしまった.

 電話をしてきたのは 5 つ上の兄だった.
 訃報を受けたとき,私は暫し,事態がよく呑み込めなかった.父から最後に連絡のあったのは,半年ほど前だったか.寒くなってきたから庭の畑に落ち葉を撒いたという話をしていた気がする.
 兄はいついつに帰るように,と電話口で言っていたが,私はハァハァとうなづくばかりであった.通話を終えてから,再び兄に電話をかけて日時や場所を訊くありさまだった.
 それから熱い茶を淹れて,これをすすりながら,壁掛けの時計を何度も確かめた――たしか 8 時を回ったくらいだったかと思う.ふいに父はもうこの世にはいないことに思い当たった.

 葬儀は 2 日後だった.
 私は兄から電話があった翌朝,職場に忌引の連絡をいれた.繁忙期でなかったのは幸いだった.
 なけなしの金で切符を求めると,私は車上の人となった.
 葬儀は生家からほど近い,市民会館で執り行われた.喪主は兄,他に兄の家族,近所の友誼,それに私だけで,焼香の順番はあっという間に全員終わってしまい,兄の連れてきた僧侶の読経がだだ広い場内を潤した.僧侶が帰ってご近所も帰るだんに,この頃はなにごともスピードだっていうんで,僧侶もだいぶ読経をはしょるようだ.とは言っても俺らも学がないから省かれてもわかりゃしないと言った.私は曖昧に笑みをつくってみせた.
 荼毘にふしている間,私は兄からやっと父の最期を訊くことができた.

 父は長いこと一人で住まっていた.兄は地元で就職して家庭を持って車で 1 時間ほどの場所に家を建てて住まっていた.このところ,独居老人の孤独死が話題となるご時世だから,と兄はなにかと心配していたそうだ.同居という選択肢も打診していたらしいが,父は容れなかった.
 父は自身の最期を悟ったのか,兄に電話した際に,珍しくいついつに来るようにと言ったという.当日,兄が訪ねるとすでに事切れていた.後にやってきた医師の話では,兄が着くよりわずか 1 時間前に倒れたのだろう,と告げた.死期をご自覚なさっていたんですかね,とその生真面目そうな医師は真顔でいうと,帰っていった.
 間に合わなかったのは残念だった,と私が言うと,兄は首をふった.間にあわなかったというよりは,きちんと知らせてくれたみたいで,ほっとしたよ.ああいう親父でよかった,と兄は言った.父の一人暮らしにそうとう気を揉んでいたようだから,本心に近いのだろう,と私は思った.
 兄の子が待つのに焦れて眠ってしまった.人は焼けるのに時間を要する.

 まきえのことも心配していたんだ.東京に行ってからちっとも帰ってこないし,連絡もこちらからしない限りはなしのつぶてだ.
 私は形ばかりの謝罪を口にした.父が亡くなってみれば,半年もの間連絡をとらなかったことが明らかになったばかりである.
 私はそのとき,はじめて,父が兄に私のことであまりうるさく言わないように言い含めていたことを知った.
 たぶん,俺があまりうるさくいうと,かえってお前は意固地になって帰ってこなくなる,とか思っていたんじゃないか.あれでなかなか気遣うところが多い人だった.兄がそう言った.
 これまでの人生で,挫折といったものと無縁の兄らしい見立てだった.おそらくある程度は事実なのだろう.私は幼少時からなにごともそつのない兄とはまったく違うタイプを自身に見出していた.父が心配するほど意固地でもないと思っているが,あるいは東京に出て 10 年余,労苦を重ねた結果,多少の兄の傍若無人なところも気にならない程度に角がとれたのかもしれない.

 その日はシティホテルに泊まった.
 忌引の休暇に有給も合わせて余裕を持ったので,翌日は生家を訪れた.
 これからこの家をどうするかは兄が考えると言うので,どうなっても邪魔にならぬよう私の物を整理するつもりだった.
 配車するか迷ったが,電車で最寄りまで行ってから歩くことにした.数キロの道のりである.駅舎の設備があれこれ新しいものに変わっていたのに比べて,生家への道からの風景はとくだん変化を感じなかった.この 10 年余の世の変化からこの道だけが切り離されているかのようだった.
 そのぶん,思い起こすことの多く,私はあまり郷愁というものに疎い性質だと自認していたが,さりとて,かつての道,かつての生家の匂いというものは確かにあるのだ,と思った.

 三和土に上がりしに,私の眼の前に――いつかの夏の日,学校帰りに三和土を上がって居間へ駆けていく私自身の背中が幻出した.それは一瞬の幻だった.
 私は高校制服姿の私を追うように家に上がった.
 男の一人暮らしというわりに家は片付いていた.私は,私にとって既知のしるし――壁についた小さな掻き傷であるとか,母のこしらえたちりめん柄ののれんであるとかと,未知のもの――私が家を出たあとに買い替えられた大型のテレビ,かつて大卓のあった場所におかれた小卓を眺めた.
 結構変わってるだろう,と私のあとから入ってきた兄が言った.あらかじめ時間を告げてあったので,私にあわせて車できたのだ.ええ,と私は返した.2 階をみてくるといい.まきえの部屋はそのままになってると思う.
 言葉どおり,かつての私の部屋は今も私の部屋だった.
 私は薄く白い埃をかぶった学習机の表面をなぞった.過日の記憶がいくつも戻ってきそうだったが,かといって今やそれはなんだろうか.

 兄が出前で弁当をとってくれたので,二人で居間で食べた.
 この家をどうするのかと訊いた.まだ考えていると口を濁した.口ぶりから,兄はすっかり真っ平らにしてしまって,処分することを考えているのだと思った.私は家については兄に任せる,ときっぱり言った.
 兄はふと顔をあげた.
 戻ってくる気はないのか,と言った.
 おそらく,この数日で一番ききたかったことだったろう.兄はこのことだけ訊きにきたに違いない.
 私はまだ考えている,と濁した.兄の口調をそっくりそのまま真似て言った.兄は笑った.それで仕舞いだった.私がこの家に来た目的が済んでしまった.

 弁当を食べ終わって,兄妹してテレビを眺めていると,兄が呟いた.
 親父はたまに,離れで過ごすことがあった.お前,なにか知らないか?
 初耳だった.私は首を振った.
 そもそも,離れには数えるくらいしか入ったことがない.離れといっても,中身はただの物置で,益体もないガラクタが山と積まれているだけと思っていた,兄にいうと同じ認識を持っていた,と言った.
 私たちは顔を見合わせた.俄然,興味が湧いていた.

 晩年の父にとって,庭掃除は億劫なことだっただろう.草は伸び放題であった.
 日差しはまだつよかった.
 離れの戸はだいぶガタがきていたが,兄がやっとのことで開けてくれた.
 小さな玄関に踏み入れると,古本屋によくあるあのカビ臭い匂いが鼻をくすぐった.室は外からあまり光が入らないのか,少しばかり暗かった.私は近くにあった電灯を試したが切れていた.
 兄が母屋に引き返して,懐中電灯を持ってきた.いよいよ探検じみてきたな.そう嬉しそうに言った.

 離れの中は夥しい書籍――分厚い書籍がところせましと並べられ,あるいは床に平積みされ,他に空き瓶,革張りの椅子,多角形を組み合わせたような不思議な置物,壁にはなにかの数式が直に殴り書きされていた.私達は足の踏み場にも苦労した.書物のほかに紙束が山と積まれているもの――そこには幾何学模様の図式や未知の文字が踊っていた.
 私たちの目にはその大半は益体もないガラクタの山としか思われなかった.が,人の出入りした形跡は認められた.父だろう.
 ムっとした空気が立ち籠めていた.兄はしばらくあちこち調べて,何箇所か窓を開けることに成功した.
 兄は無造作に未知の記述で埋め尽くされた紙片を拾い上げた.
 読めるか,と私に尋ねた.私はかぶりをふった.私たちは顔をみあわせた.
 ――これは父のもの,なのだろうか.

 ガラクタの山,と見えたものも目が馴れるに従って違ったものに見えてくる.
 私たちは書と紙片に囲まれた僅かなスペースに小机がおいてあり,その上に生前父が愛用していた万年筆を見出した.黒地に金が誂えてある無骨なデザインのそれは,確かに私の記憶の中の父が書きものに使っていたそれだった.
 見つからないと思っていたんだ.兄が呟いた.
 また,机の上には革製のカバーのかかったノートが置かれていた.開くと,黝い文字でやはり未知の文字が踊っている.しかも,未知とはいえ,文字のトメハネの示すクセに私たちは見覚えがあった.
 私たちはノートを持って,母屋に戻った.

 一見して,ただのノートにしか見えない.
 頭からめくってみると,未知の文字やまたあるページには一面の幾何学模様,ときにそれはなにか設計書を思わせた.しかし,これまでまったく見たこともないような文字である.
 私は兄を見た.兄も私をひととき,じっと見た.
 まったく未知でなにもわからないのだが,文字を見つめていると,筆致は精密で字体はある種,カリグラフィを連想させた.これを書いたのがまさに父であれ,あるいは誰そであれ,いい加減な落書きではなさそうであった.
 ページを繰り繰り,全編にわたって未知の文字による文章が続き,それら筆致はすべて同一であるように思われた.

 兄は,父のしごとだろうか,と呟いた.私はたぶん,と返した.
 ところどころに現れる書き手のクセは父のそれだった.半ば確信である.
 父は博識のひとであった.私も兄も中学にあがる時分までは,折に触れて,家で父の短い講義を聴くことがあった.それは学校の宿題であったり,難しい経済ニュースの説明であったりした.
 父の講義で,大事なポイントは紙に書くことがあったが,まさしくそのとき見知っているクセが随所にあらわれているのだった.

 お茶を淹れた.
 数分の間があって,兄はぽつんと呟いた.
 父はもしかして偽書を書くような趣味があったのかもしれない.ぎしょ,と私は繰り返した.
 兄のいうには,偽書とは,偽の歴史を記した,正当性に極めて深い疑いの持たれる書のことである.そのほとんどは後世の人間が書き起こしたものであるという.
 たとえば,と兄は言葉を継いだ.東日流(つがる)外三郡誌という群書がある.これは青森のさる郷にて「発見」されたとする朝廷と対立する蝦夷の古史を語ったものだという.もっとも筆跡鑑定や発見状況にまつわるさまざまの疑いなどから偽書として確定したものだという.
 偽書のなかには,漢字伝来以前の文字文化があったとし,その文字――神代文字を用いて書かれたとするものもあり,あるいは父はそうした流れを組む創作に取り組んでいたのではないか.兄の言い分はこうであった.

 私は兄にオカルトの素養があったことにまず驚いたが,次第に父の残したノートに興味を覚えてきた.
 ページを繰ってみてもやはり書いてあることは意味不明だが,あるいはこれが父の残したなんらかの創作であるとするなら,父はなにを遺そうとしたのか.そもそも私には,余人に読めぬものをわざわざ記すその意図がつかめなかった.
 兄が唐突に言った.他にこのようなノートがないか,再び調べてみないか.
 私が兄がいささかのめり込みすぎていないか,という気もしたが,しかし,私はおそらくもうこの家に足を踏み入れることはないであろう,という予感を換算にいれると,今日このときに調べておかねば一生父の遺したなにがしかに触れる機会はないという複雑な思いに足をすくわれるかたちになった.
 私たちはノートを持って離れへ向かった.

 陽は沈もうとしていた.
 赫い色に塗り潰された離れは先ほどとは印象を変え,不気味さと禍々しさをたたえていた.
 私は嫌な予感がした.兄が扉を開けた.
 私たちは再び足を踏み入れた.
 改めてみると,そこは父の書斎だ,と思った.乱雑にものが積まれているだけと思えたのに,今や整然と書が折り重なり,主人の帰りを待ち侘びているかのような――
 私が不可思議の感慨に浸っていると,兄の呼ぶ声がした.かれの声はいささか震えているようだった.
 そして,私もまた,言葉を失った.
 今まで目に入らなかったのだろうか.書斎とおぼしき部屋の片隅に,扉が現出していた.
 緑がかった青銅色であちこち幾何学模様に縁取られた扉がひっそりと佇んでいた.私は直感的にこの扉は地下へ通じている,と思った.
 離れに地下室なんてあったか,と同じ直感を得たに違いない兄が漏らした.
 兄は扉を開けようとしたが,施錠してあった.鍵,鍵が要る.兄が呻くように言った.
 ふたりで探すと,鍵はあっさりと見つかった.
 私はそれを父の書斎机の上に見出した.――さっきからここにあっただろうか.鍵のような象徴的なものを私も兄も見逃すなんてことがあるだろうか.
 少し大型で,これといった装飾もない銀色の鍵は,経年を経て光ることも忘れたようだった.

 扉はあっさりと開いた.
 私と兄の想像どおり,地下へ続く階段が現れた.
 私が先に降りた.
 木製の階段は,そろりと足を降ろすとギッギッと嫌な音をたてた.兄が続いた.
 底には灯りが届かないようだった.私は電灯のスイッチなどないか手探りしながら,さらに段を降りた.
 ――――

 事実だけ書くと,私はそのあと,兄に起こされた.
 気づくと,私はまだあの父の書斎にいて,兄によって床に横にされていた.
 急に倒れて心配したんだ.兄が言った.
 私が,地下室は?と訊いても兄はきょとんとした表情をした.
 書斎の,あの青銅色の扉のあった場所に目を遣ったが,そこにはうず高く積まれた書籍,それに経年でくすんでしまった白い壁があるだけだった.扉も,その先にあった地下への階段もなかった.
 私はそれから,鍵は?と呟いた.
 兄はやはり意味がわからないものと見えて,かぶりを振った.私はまだ混乱していた.

 私が今しがたあったことを話すと,兄は夢でもみたのだろうといった.
 兄によると,兄が二階を見に行って戻ってきたら,書斎で倒れていただという.正確な位置を訊くと,私は書斎机のつぐ脇,それも私と兄が見出した扉に足を向けて――扉から逃げようとするかのように.
 それは夢だ,と兄は繰り返した.しかし夢にしてもいささか悪趣味だ.きみが悪くなってきた.戻ろう,と言った.
 私は肯った.

 片付けも早々に私たちは生家をあとにした.
 あとになって,結局,ノートは遺してきてしまったことに気づいた.
 私はなんとなくすっきりしないまま, S 県をあとにした.

 荻窪の下宿に着いて,帰りがけに買ったビール缶を干してしまったのでさぁ寝よう,として水をいっぱい飲んだ.
 ふいに私は,あの階段を降りたときの続きを,思い出した.

 私が階段を一段降りたときに見たそれは,一言で言えば,私という人間が放擲されるのを客観する,という異常体験だった.
 一段降りた私の前に突然,背中が現れた.それは私だった.それもその次の段を降りている私だった.
 そして,その更に向こうに次の次の段を降りる私の背中が見えた.
 その向こうにも――
 私の意識は次々に現れる私を認識しながら,それらの私の感覚をも共有していた.つまり,私は私の背中を見ながら,段を次々に降りていく感覚をも有していた.
 この異常感覚はなおも続いた.
 私は階段を降りきり,その先に進んだ.その間,私はさまざまの瞬間の私自身として静止画のようにその場に縫い付けられ,次々に現れる瞬間の私が重なり合い,連なり合って綿々と続いた.
 階段を降りた先には,小さな部屋があった.書斎と異なり,一切の家財具が置かれていない,四角い部屋だった.
 その中心に黒い毬のようなものが転がっていた.
 私は重なり合いながら,その毬へ向かった.毬へ近づくにつれ,私はさらに細かく時間の中で分割されていくようだった.そして,矛盾するようだが,加速しているようだった.一瞬を永遠に縫い付けたような感覚,――ありとあらゆる瞬間の私を私自身がすべて自覚して立っている,という鮮明な体験は私を忘我に近い境地に導いていた.
 一瞬を永遠に?
 然り,と思った.私は加速し,しかして毬に触れようとするその一瞬の裡に無限に分断されていった.私自身の総体としての私が呟く.
 時よ,止まれ.
 私は――

 まきえ.父の声がした気がした.
 私ははっとなって振り返ろうとした.そうして,目が醒めた.

 寝付けなくなってテレビをつけた.
 古い外国の映画をやっていたので,漫然と眺めた.
 明け方までまんじりともしなかった.

 私は結局,一切を兄に託した.
 おかしな話だが,時間が経つにつれ,生家の記憶は薄れていくのに,恐怖が倍加していった.
 兄からは不定期に連絡がきて,離れは崩され,母屋も改築するか思案中だという.
 そういえばあのノートは持って帰ったんだろう.あるとき,兄がおかしなことを言った.
 後日,壊すだんになって離れに入った兄は,ノートが消えていることに気づいたという.私は誓って,あのあと,離れはおろか,生家にも行っていない.




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