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「名探偵のいけにえ」を雑にレビューする(ネタバレあり)

本稿では「名探偵のいけにえ―人民教会殺人事件―」をネタバレありでレビューする。トリックやシナリオにも言及するので未読の方は注意されたし。

繰り返しになるがネタバレありである。
クッションを入れておく。

ネタバレ防止用クッション

面白い推理小説に珍しく遭遇したのでレビューする。
というよりも、まずはこの一言でレビューを開始したい。
「この作品をつまらないって言い切る人はいるの?」

Olya AdamovichによるPixabayからの画像

本作は特殊設定ミステリーである。
病気や怪我が存在せず、失われた四肢すら蘇る、奇蹟の楽園ジョーデンタウンが舞台…と帯には書かれているが、実際には奇蹟を信奉するカルト宗教信者が集う集落を舞台にした作品だ。人民教会という宗教の信者である彼らは病気や怪我を知覚できない。自身の病気や怪我を認識できないだけでなく、他の信者のそれすらも知覚できない。両足を失った男性は「俺はこのジョーデンタウンに来てから足がたちまち生えてきた」と認識するし、周りの信者も「彼は両足がある」と知覚する。実際には車いすで移動しているにもかかわらず、だ。信者たちは現実と信仰の間に生じた齟齬を解消するために認知を歪めているわけである。

目を引く設定ではあるが、本書の最も優れた点は解決編だろう。本作は特殊設定ものではあるが、同時に多重解決作品でもある。本作の解決編は読んでいて楽しいという一言だ。事件を平和裏に解決へと導くためのでたらめの推理は「これが真相だったら肩透かしだ」と思うレベルだが、特殊設定をうまく使った推理なのには間違いない。文章量としてもさほど多くないため、ワンクッションにして更なる事件が起こった際の衝撃を増す働きをしている。

5688709によるPixabayからの画像

言わずもがなだが、信仰者の推理と余所者の推理で二者択一を迫るというのはあえて多重解決ものをやる理由になっている。なぜわざわざ推理が何度も語られるのか?そんなのだるいじゃないか?という気持ちを読者が持つことは普通だと私は思う。解決編でだらだら紙面を使うのではなく、深奥をついた一言で真相を解き明かしてほしいと思うのが一般的だろう。本作では大塒が2通りの推理を披露してジム・ジョーデンに不自由な二択を迫る。あえて選択肢を狭めて、大塒にとって望ましい展開に持ち込んでいるわけだ。二重の推理を提示する理由になっているし、作中にちりばめられたパズルのピースが二つの推理で余すことなく使われているのが気持ちいい。

anncaによるPixabayからの画像

大塒の犯行動機には思わず共感してしまった。倫理も法律も存在しない集落で大切な人間を失ったら彼のような行動を取るのも理解できる。作中ではあらゆる要素がピースとなっているが、まさか「最後の事件」だけを読み漁ったという大塒の過去までもが推理のピースになるとは思わなかった。作者の別作品である「名探偵のはらわた」でも日本犯罪史に残る事件に新解釈を加えていたが、私が読んだ時には解釈に無理やり感があるように感じた。創作者の意志を感じられて納得しきれなかったのだ。本作では大塒の犯行背景にもルイズ・レズナーの行動にも説得力がある。それは説明に紙面が割かれているからであり、証拠も提示されているからだ。

推理小説はトリックや犯行動機に一定の紙面を割かざるを得ない。だが推理小説と言えど小説には違いないのだから、作品にはドラマがあってほしい。単なる犯人当てパズルになっていたら小説として欠陥品であるし、逆に犯行動機の説明だけに注力していたら安っぽいお涙頂戴作品と感じる。本作ではキャラクターの思考や感情、行動に整合性がある。りり子、大塒、ジム・ジョーデン、ルイズ・レズナー、Qを必要な分だけ描いていいるため、いたずらに長くなることなく読者として共感できるドラマが描かれている。単に犯人とトリックを言い当てて喜ぶような作品ではないのが小説として本作が優れていると断じられる理由だ。

冒頭の一言に再度立ち返るが、ここまで緻密に作られている作品をつまらないと感じる人はいるのだろうかと思った。だが、レビューサイトをいくつか眺めてみると「いまいち推理に乗り切れなかった」「くどい」「分かりづらい」「動機が理解できない」という否定的な意見をしている人もいるので、万人受けする作品ではないようだ。
私は本作はこれ以上ないというくらい面白いと言い切れる。理由は上で述べた通り。これでこの話はおしまいだ。

Steve BuissinneによるPixabayからの画像

トリックに関しては一点だけ疑問がある。余所者の推理の中ではフランクリンの足元に犯人が死体を隠したことになるが、Wはフランクリンを健常者と認知しているため彼の足もとに空間があるとは認識できないと思うのだが、この点はどうなっているのだろうか。人民教会の信者であるWは自分が成人男性だと思っているからこそ、堂々と成人のような振る舞いを見せている。ということはフランクリンの四肢欠損を知覚できないはずだ。だが、余所者の推理で語られた犯行を実現するためにはフランクリンの足元に空間があると認知できなければならない。

仮に上の疑問が私の読み間違いであればコメントで教えてほしい。逆に理由がなかったとしても、本作が推理小説としてまぎれもなく面白い作品であるのは間違いない。

手元に置いてたまに読み返したいと思えるほど良い推理小説だった。本作のレビューは以上である。


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