日大アメフト 誰も嘘をついてない可能性について考える
今回の日大アメフト部のとんでもなく危険なタックル問題。監督側と選手で指示があった、そこまでの指示はしていないと主張が割れてるわけですが、ここではもう一つの可能性を考えてみたいと思います。
その可能性とは追い詰められた選手だけでなく、追い詰めていた監督、コーチ側も自分たちが何をしているのか判断できない状態だったのではないかという可能性です。
私は、いじめは行為そのものではなく犯罪に近い行為が見過ごされる集団の力こそいじめと定義すべきであるという文章を書いています。
今回の日大アメフト事件もこの視点で考えてみたいと思います。
試合だけでなく練習に出場する権利まで奪われ追い詰められていた選手がまともな精神状態でなかったことは歴然です。コーチも絶大な権力を持つ監督の下にいたのですから、自由に考えられるとは言えなかったでしょう。
では、トップの監督は自由に考えられていたのでしょうか。私はある程度、監督自身も集団や環境の影響下にあったのではないかと考えます。物事がエスカレートする集団の力としていくつかの可能性が考えられます。一つは前年度に優勝して集団全体が前のめりになっていた可能性。もう一つは監督→コーチ→選手という間接的な命令によって過激化した可能性です。トップは直接命令するわけでないので、残酷な命令を直接出すより気軽に出せます。中堅、末端はトップからの命令だからと集団が強いほど自分で判断できなくなります。
こういった集団の力の影響下に監督自身もあったのではないか。だから監督の主観的な世界では、ありえない反則も容認しつつそんな指示を自分が出したのではないという矛盾した見解になるのではないか。そういった可能性もあると考えられます。
もっとも、監督がかなり意図的に嘘をついている可能性もあるでしょう。今後のさらなる調査が待たれます。
こういった集団による悲劇を生まない為には、集団の力について啓蒙を図り、集団の圧力を利用した指導を慎重にしていくことが有効でしょう。