一万円選書のカルテから②
昨日の続きです。
北海道にあるいわた書店さんに一万円選書をしてもらえることになり、選書の際に必要となる「カルテ」を記入、提出したのが昨年のこと。久しぶりに思い出したので、当時のカルテの設問と私が書いた回答を紹介していきたい。
『ダレン・シャン 奇怪なサーカス』(ダレン・シャン著)
『モモ』(ミヒャエル・エンデ著)
『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ著)
『てのひら童話』(おーなり由子著)
『天の瞳』(灰谷健次郎著)
『こころのチキンスープ』(ジャック・キャンフィールド他編)
『新耳袋』(木原浩勝、中山市朗著)
『プチ哲学』(佐藤雅彦著)
『気になる部分』(岸本佐知子著)
『バスを待って』(石田千著)
『ウエストウイング』(津村記久子著)
『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』(安福望編・絵)
『フィフティ・ピープル』(チョン・セラン著)
『夜を乗り越える』(又吉直樹著)
『心はどこへ消えた?』(東畑開人著)
『あなたのご希望の条件は』(瀧羽麻子著)
『島へ免許を取りに行く』(星野博美著)
『なつかしい時間』(長田弘著)
『嘘と正典』(小川哲著)
『月とコーヒー』(吉田篤弘著)
振り返ってみると、家族に囲まれてなんの心配もなく、本やゲームやお絵描きを楽しめていた、それで完結していた小学生くらいの時期がとても幸福に感じられます。東京に暮らす母方の祖父母に会いに行くのも楽しみでした。
また、社会人になりたての初めて一人暮らしをした頃、退勤後に好きなお店でご飯を食べたり古本屋を物色したりと、思う存分、気楽にひとりの時間を満喫したのもいい思い出です。
ですが何歳の自分が好きだろうと考えた時、多分32歳の今なんじゃないかなと思いました。子どもの頃に感じた気持ちをそのまま感じることはもうできませんし、それを寂しく思う時もありますが、こうして過去の思い出をゆっくり振り返ることができる、そうやって取り出せる思い出がたくさんある今はとても楽しいです(うまく言い表せず伝わらないかもしれませんが、言語化できるようになったからこそ思い出せるようになった記憶というのもあるように思います)。また、知っていること、できることも増えて、それを蓄積として持てていることもうれしいです。特に、私にとって「書く」ことは仕事でもあり、生活になくてはならない行為でもあるのですが、昔は差別的なことや他者に配慮のない言葉を無自覚に使っていたこともありました(人との出会いや学びの中でそのことに気づきました)。今やっと学びのレールに乗り、自分の言葉や社会でいま使われている言葉について常に疑問を持って調べ、考えながら発することができているように思います。多くの人の顔を思い浮かべ、目の前の事柄をできるだけ自分の言葉で繰り出そうと試行錯誤する時、そしてそれができた時、うれしく感じますし、文章にうつった自分の考えや言葉が好きだな、と少し満足できます。
1年先すらも自分がどうなっているのか想像できないな、ということを時々ふと考えます。しかし、仕事であれ趣味であれ10年後も文章は書いているだろうなと思います。
上手に歳を取れるのか…。かっとなりやすかったり、過ぎたことでうじうじと落ち込んでしまったり、まだまだ大人になりきれない部分があるように思うし、実生活においても掃除をついさぼってしまい、夫がしてくれたのを見て(ああ…“やらせて”しまった)と反省したり、つい偏った食生活をしてしまったりと自律できていない点が多々あるので不安もあります。人付き合いもまだまだ苦手なような気もするし…。
その場の空気に左右されて特定の人を嘲笑したり貶めたりするようなことはしたくないと思っています。
***
こんな感じで問いはシンプルだったりするのだが、文字数の制限がないため夢中になるといくらでも書けてしまう。
たった1年前でも振り返ると「ベスト20にその本を挙げるんだ(今ならあの本を入れているな)」など、自分自身のちょっとした変化も感じられて興味深い。
これは全体の1/3ほど。設問はまだ他にもあり、そちらもなかなかのボリュームで答えていた。続きはまた明日。
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