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体罰って本当に駄目?悪いこと?

まずは体罰を「問題行動に対して罰として肉体的な苦痛を与え、今後同様の問題行動をとることの無いように注意を促すこと」と定義してみましょうか。

自然界に普通に当たり前に存在する体罰は悪いことか?

蜂は刺す。蛇は噛む。犬は噛む。猫は引っ掻く。お湯は熱い。高いところから落ちたら怪我をする。それが分かっているから気を付ける。体罰を突き詰めればそういうことでしょう。痛い目に遭いたくないから避けるのは生物として当然の感覚ですね。「蜂が人を刺すなんてひどい!」って言う意見はほとんどないんじゃないでしょうか?ほとんどは「蜂は刺すから気をつけろ」って意見じゃないかなぁ。「刺す蜂」が悪いのか?「刺される行動をとった方」が悪いのか?そういう問題です。おそらくDNAには「刺される行動を取るな!」と書いてあるので、蜂や蛇や毒虫などに本能的な嫌悪感を覚えるのでしょう。「こいつはやべぇよ。気を付けよう。」と。

痛い目に遭ったそのあとは

蜂に刺されたら蜂を避けるでしょう。お湯で火傷したらお湯に対して慎重になるでしょう。私は少年時代にムカデにいたずらしてたら噛まれました。想像をはるかに超える痛みで、もう二度とムカデには手を出してはいけないと思い知ったものです。「二度としない」に「痛み」は効果絶大です。自然界では手加減無しで痛みが来ますが、「体罰」は危険度に応じて加減された痛みです。傷つけること・己のはけ口としての利用が目的ではないので、単なる暴力とは根本的に異なるものです。大難を小難で避けるためのものです。

親の体罰の違法化

先日、駐車場で子供が飛び出して車に轢かれそうになっているのを見ました。その子の母親は慌てて子供を引き寄せ、事なきを得た後で子供をひっぱたいてましたが、この母は罪に問われるのでしょうか?私個人の意見としては全く問題ないと思います。大人から見れば幼子が車に轢かれたら大惨事が予想されますが、子供はまだイメージがわきません。一回轢かれてみれば二度と繰り返さないでしょうがそんな訳にはいかないので、親が「程よく加減された肉体的な痛み」とそれを補足する「お説教」を抑止力に使うのです。この子が大きくなった時に、駐車場で己の不注意な行動が原因で轢かれそうになった時に親にひっぱたかれたことを理不尽と思うでしょうか?親の体罰を法で禁じるのは害の方が大きいように思います。

体罰か制裁か?

「教育のためにやった」と言えば良いとでも思っているのか、虐待が発覚するとかならず「教育」を持ち出すのですが、「そこに愛はあるんか?」「信じられる愛はあるんか?」を問いたいものです。自分の都合で気に食わないから制裁を加えただけではないのですか?「体罰」と「制裁」は完全に別物です。体罰は「危険や不利益を回避する」ことが目的としてあり、制裁は単純に苦痛を与えるものです。しっかり区別しなければいけません。

「体罰執行管理士」の創設

体罰・制裁・虐待。この辺の違いは専門に勉強する必要があるでしょう。学問、そして国家資格化しても良いのではないでしょうか?体罰はOK。しかし制裁や虐待はNO。誰が判断するか?と言えば学校や児童相談所に「体罰執行管理士」の設置を義務付けて、まずはその者に相談する。その者が問題ありと判断すれば行政への連絡。場合によっては司法の判断まで行くという流れが欲しいものです。本来の体罰と虐待・制裁・暴行は全然別物なんだという事を低学年の授業でも取り上げればよいと思いますね。

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