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文学とは

個人的には文学が嫌いだった。正確には国語のテストが嫌いだったのかも知れない。文章に触れ、その時に抱いた感想にマルバツがつく。この解釈について有力な説はあーだのこーだの。そういうのが本当に嫌だった。そのため、文学というものを避けてきたのだが、巡り巡って文学に興味が湧いてきた。

漫画とゲームと文学と。

専門に文学を研究されている方には怒られてしまいそうだが、最近になり漫画とゲームと文学がつながった。もちろん、漫画でもゲームでもごく一部の作品が文学に通じるという気がしてきただけでほとんどは文学とは完全に別物だろう。ゲームならば真女神転生Ⅰ、Ⅱ、if、最近の漫画なら「恋は雨上がりのように」に文学のにおいを感じる。念のため宣言しておくが、私は文学から避けてきたので文学について語るほど文学を知らない。興味が湧いてきたというレベルだ。

女神転生シリーズ

「女神転生」というカルト的人気を誇るゲームがあり、色んなシリーズが出ている。簡単に言うと主人公は「法と秩序」を重んじる勢力と「力」を重んじる勢力の争いに巻き込まれるわけだが、それぞれの勢力の意見はどちらもうなづけるもので、単純に一方の味方にはなれない。難しい判断をしながら進んでいくものだ。ほとんどのシリーズをプレイしているが、中でもⅠ.Ⅱ.ifから強烈に現在の私が思う文学臭を感じるのだ。

私の思う文学臭とは

それぞれの立場で本気で生きている。主人公や登場人物の悩みや葛藤に読者も共感し、一緒に悩み葛藤し、最終的に出した答えにもやもやを残しつつも信じて進み、その物語の最終的な答えに向かう。読後にもやもやや達成感を複雑に残すのが作家の力量だろうか。あの時の判断は正しかったのだろうか?自分はどうするだろうか?この結果で良かったのだろうか・・・・。余韻の部分こそ文学の本体ではないかと今の時点では思う。そう思うと国語の問題も理解できなくはない。

恋は雨上がりのように

この作品は漫画なのだが、非常に文学(私は文学の素人)を感じる。実際、文学をテーマにしているのだが、非常に美しい。年の離れた男女の恋愛ものとかそんな浅薄なものではなく、年齢を重ねることで失ったものを思い出す物語だと思う。若き日の自分を思い出し、若く自分を慕ってくれる女性に憧れも敬意も抱きつつ自分と同じ後悔もさせたくないという複雑なもの。店長も橘さんも一生懸命生きている。ぜんぜんうまく表現できないところに自分の文才の無さを感じるが、すっきりしつつももやもやの残るラストは素晴らしい。おっさんも泣いてしまう。本当の主人公は店長ではなかろうか。

畜犬談

太宰治の短編小説に畜犬談というのがある。私は数年前に息子に進められて読んでみたのだが実に面白い。これもやはり主人公の「本気」の感情をうまく描写しているのが効果的なのだろう。私も参考にちょっと書いてみたことがあるのだが、私を太宰治の力量の差に愕然とした。色濃く参考にさせてもらった(パクリではない)が、まったく追いつけない。noteで記事を書くようになり少し私の文章力もあがったのだろう。そのおかげで一流の作家がものすごく遠いことに気づいた。

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畜犬談を参考にした短編小説

己のレベルを知る方法



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