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老父のうつ病②

昨年、12月18日にうつ病と診断された86歳の父。
その初日を書いて、続きも日を置かずにアップするつもりが、年を越し、一週間が経ってしまいました。

その間、地震、航空機事故とショッキングな事件が相次ぎ、2024年はなんとなく薄暗い幕開けのように感じてしまいましたが、それぞれの地で被害に遭われたかた、救助のためご尽力くださっているかたにじっと心を寄せています。

おつらさ、苦しさ、寒さ、無力感を我が身のように感じます。
なにもできなくてごめんなさい。
代受苦ということばが浮かびます。

父の経過がよくないので、よけいに暗く辛く感じてしまうのかもしれません。

初日にうつ病と診断され、抑うつ剤と睡眠導入剤を処方され、診断書を頂き、とりあえずはやれることはやったように思っていました。

そのままマンションに泊まり、リビングに父と一緒に布団を引いて寝ました。

ところが、父は入眠はすぐしたものの、夜中に何度もおしっこに立ち、熟睡できていない。
ため息や寝返りで、全然眠れていない様子が、ダイレクトに伝わってきます。
いつも枕に頭をつけた瞬間に寝ていると笑っていた父のことですから、眠れないということにとても違和感を感じ、焦りを感じているようでした。

これはダメだと漢方薬局に予約を取りました。
元々、私自身もお世話になり、ウチの患者さんに内治が必要なかたにはご紹介し、逆に漢方薬局さんの患者さんで、指圧や鍼灸に関心を持って下さるかたはご紹介頂いてきたような、信頼のおける漢方薬局さんです。

漢方だけではなく、西洋薬についても知識が広く深い薬剤師さんなので、とても安心です。

それよりなにより、慈悲のこころでまず受けとめて下さいました。

「お父さんはとても能力のある方なのに、理事会の運営がうまくできなくて悔しかったんですね。」
「それでも頑張ろう頑張ろうとして、無理を重ねてこられたんですね」

と、顔を見て、しっかりと大きなゆっくりとした口調で話しかけて下さいました。

父はホッとしたようにみえました。
病気のなかに縮こまったまま、感情が凍結して、能面のようになっていた表情が少しゆるんだようにみえました。

娘である私は、父との関係性において、優しい言葉をかけることは永らくありませんでした。

私が幼い頃から両親は仲が悪く、私はいつも母側に立ち、父はいつも面倒なトラブルをもちこんでくる厄介な人、母を困らせる人という存在でした。

私が結婚したのち、シングルマザーとなったため、息子の子育てには父が大活躍してくれて、それについては有難いと思い、感謝もしていましたが、基本的には私と母が一連托生であり、父は離れた舟に乗って、そのまわりをつかず離れず距離がある…という図が続いていました。

その息子の結婚式が1月半ばに東京であり、1年前にそれが決まった時に、父は誰よりも大喜びして、長生きした甲斐があった、ひ孫をみるまではまだまだ長生きするぞ!と、カレンダーに大きなしるしをつけていました。

わたしもそれを当然のことと思い、高齢とはいえ、とても元気なので1年後に行けなくなるような事態になるとは想定もしていませんでした。

漢方薬剤師さんにその経緯をお伝えしながら、その時点で3週間後に控えている結婚式には、どうしても連れていってあげたいこと、私が泊まりこんで服薬はちゃんとさせること、などを説明しました。

まだその時点で、わたしは理事長職の重圧から解かれれば、ホッとして元気になるはずと思っていました。

漢方薬剤師さんも、「大丈夫ですよ、必ずよくなりますからね」と仰って下さり、飲みやすいドリンク剤と顆粒の漢方を処方してくださいました。

その際に、「お父様のお身体を触られましたか?」と問われました。
「背中をさすったりはしていますが、触っていません」
「せっかく、手技の技術をおもちなのだから触って差し上げた方がよろしいですよ。ものすごくお父様はからだに怒りを溜めていらっしゃいます」

私はハッとしました。
今まで、母は凝り症でもあるので、定期的に指圧をしていましたが、父には照れもあって・・・というか、あまりそういう習慣がなくて、永らく触れたことがなかったのです。

帰ってきて、改めて触れてみると、大変なことになっていました。

普段、わたしは舌診と腹診をまずします。
舌もおなかもそのときのお身体の様子を如実に反映しているからです。

父の舌は、真っ赤に腫れあがり、中央に溝があり、干からびていました。

そしておなかはおへその奥で、いままでのどんな患者さんからも触れたことがないような、大きな動悸がしていました。

臍横動悸はストレス所見と、東洋医学では診ます。
同じく腹部大動脈の動悸は、破裂にもつながる西洋医学的にも危機的状況のはずです。

おなかの奥で大蛇がのたうちまわっているような、ものすごい脈打ちかたでした。

怒りをためている。
それは、自分へのふがいなさかもしれないし、思うにまかせなくなった運命へかもしれないし、母や娘へのわかってもらえなさなのかもしれないし、たぶん色々な複合体なのでしょう。

漢方薬剤師さんは、「まだ元気のでるお薬はやめときますね。とにかく鎮静、落ち着いて眠れるようなお薬にしています。それを飲み切ってから気虚を補っていくようなお薬にしていきます。大丈夫ですよ、間に合います。」

これがうつ診断2日目のお話です。

まだまだ日はあるように思えていたし、父も漢方薬局さんでホッとした様子を見せていた。
年末には息子も帰ってくるし、息子に会えば事態は好転すると、なんの根拠もなく思っていました。

年末は治療院も一番忙しい時期です。

ここが頑張りどころと、自宅と父のマンションと職場を右往左往しながら、希望をもって動いていました。

しかし、そんなに簡単なものではないことをすぐに思い知らされることになりました。



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