念彼観音力を想う①
河合隼雄『で』語り合おう
マガジン立ち上げからひと月が経ちました
枝瀬先生と共に・・というか、枝瀬先生が創ってくださった共同マガジン、
河合隼雄『で』語り合おうを始めたのが10月15日。
もう少しでひと月になります。
自分の想定していたことから、はるかかなたの地点に私はいます。
どちらかというと、時空が歪んで、通常ではありえないようなところにいきなり飛ばされてしまった…くらいの感じです。
今現在の人間関係の中では、話したことがないようなことを、このマガジンに参加してくださった方には話し、聴いていただき、シンクロニシティとコンステレーションの嵐の中にひと月いた・・ような感じでした。
記事もすごいのですが、コメントもまたおかしくなるほど色々なことが繋がり、解かれて、自縄自縛の縄がはらはらとほどけていくような繰り返しでした。
風の歌のナウシカさんの記事
今年の2月、わたしは宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を観に行って、その時の感想の記事に右目からだけ流れる涙の不思議を書きました。
そしてそんなことはまるっきり忘れていたのです。
それをこんな風に読み解いてくれる方が忽然と現れた。
そしてそれはとてもしっかりと私の腑に落ちる解釈でした。
隼雄先生、壮大なイタズラをされますよね。
くれぐれも無理をされませんように。ナウシカさんの中でゆっくり熟成される言葉を、何年でも心待ちにしています。
そしてまさかのくりすたるるさんのコメント!
関係なくないんです、ナウシカさん。壮大に繋がっているんです。
ああもう、ひとつの記事を取り上げるだけでもまとまらないので、何回かにわけます。
このひと月、こんな風に魂が躍動するような、目にみえない世界が活性化して陽が当たるような、陰陽が反転するような日々でした。
それに伴って、現実も躍動していたかというと・・それは真逆といっていい様相でした(笑)
リアルワールドの逼塞
このひと月、自分が生きる現実世界は全くうまくいきませんでした。
色々なことが裏目裏目にでるというのか、よかれと思ってしたことが喜ばれていない、うまくいくはずのことがいかない。
なにかちぐはぐな感じがする毎日でした。
うまくいかないから、立ち止まろうとするんだけど、無理やり押し出されるような感じ。
ことの本質、原点に還ろうとするのだけれど、いろいろなことに邪魔が入って、枝葉末節のところで闘うことを余儀なくされるかんじ。
そんなときに、地元雑誌の記事をみます。
来年の4月19日から、奈良国立博物館で超国宝展があるという告知のポスターです。
あやのんさんの記事
そこには、あやのんさんを象徴する二体の仏様が。
あやのんさんのページのトップに横たわる法隆寺の百済観音。
初めてあやのんさんを知った写仏部での習作中宮寺の如意輪観音。
つぶやきの言葉がアヤシイ関西弁なのは、あやのんさんの記事でスティーブジョブズの関西弁に引っ張られたから。
この中で、河合先生の関西弁の魅力、力に触れられています。
確かに関西弁と河合先生は分かちがたいものだと思います。
関西弁って、吉本の芸人さんが話す言葉が全国区になっていると思うのですが、河合先生の話す関西弁は鋭いツッコミとはまた別次元の、包容力のある柔らかい温かみのある大人の言葉です。
そして、あまり共通点があるように思えなかったスティーブジョブズと河合先生ですが、くりすたるるさんが取り上げてくださったまさにそこに、私も釘づけになります。
これって、コンステレーションやん…。
枝瀬先生が教えて下さった、河合先生の京大最終講義で、河合先生はコンステレーションについて全く同じことを仰っていました。
いったい何が起こっているんだろう・・。
不思議は②に続きます。