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葦と芸術と真の豊かさ

はじめに

僕は福岡に住んでおり、エンジニアをしています。
日頃リモートワーク&ネットスーパーとヨドバシエクストリーム便で生きている僕にとっては暑すぎる太陽と熱気に照らされながら着いたのはBanksy展

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展示物として彼の作品が動画で初めに紹介された後に3階まである会場をゆっくり見ていくというものでした。
彼を知ったのは漫画『左利きのエレン』であり、そこでグラフィティアートという分野があるのかぁと当時大学2年生だった僕は驚きを覚えました。
本作品はKindle Unlimitedであれば無料で読めるのでぜひ

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歩いている途中では男が窓ふちをつかんでいる「Well-Hang-Lover」や猿が会議している「退化した議会」など僕でも知っている作品はもちろん知らなかった作品や反商業主義的な考えはとても興味深いなぁと思いながらとても良い時間であったと思います。
作品をオークション会場でバラバラにするあの行動には痺れました

しかし1つ気になったことがありました。

歩いてるときに聞こえてくる「パシャ」そしてまた聞こえる「パシャ」、そして左では何かスマホをとって順番に写真を撮っている人たち、作品と一緒に友人や彼氏や彼女を映している人たち





僕「うるせーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



すみません、取り乱しました。

いや、でもこれ何なんですかね。
コミケのコスプレを見に来たのかと思うほどあちこちからシャッター音が聞こえてきました。
ちなみにこの展示会の入場料は確か2,000円程度でしたが、ディスプレイ越しで見てろよ!!!っていうのが僕の感想でした。

でもコレって別にこの展示会だからっていうわけでもないんですよね。

3月に新国立美術館であった佐藤可士和展の時もこんな感じでした。
その時もあらゆる時からパシャパシャ聞こえてきます

スマホが奪ってしまった豊かさ

美術館という範囲を超えると音楽アーティストのライブとかでもこの現象ありますよね。
音や演出、アーティストさんの汗や一生懸命な顔などライブでは見るべきところはたくさんあります。
本来はスマホの画面なんて1秒も見ている暇なんてないはずなんですよ。

スマホやそれに伴うSNSの発展は間違いなく僕らを情報の海に放り投げたと考えています。
もちろんそれに伴って美味しいレストランなどが拡散されて人気店になったりなど情報のアクセスが非常に容易になって本当にいい時代だと思っています。

しかし、その裏にはフェイスニュースの問題やキラキラした自分を演出するために借金やリボ払いまでして買ったブランド物のバッグ
最近ではハゲや肥満など身体的なコンプレックスを持つ人たちにターゲットを向けて怪しげな薬品などが広告されていますね。
ちなみに僕はムカつくあまりYoutubePremiumへ加入しました。
これがなければ多分逆にストレスでハゲて肥満になります。
ちなみに友人はGoogleアカウントの設定を90歳にしてお茶とかの広告しか流れてこないようにしているといっていました(多分規約違反でしょうが、、)

話を戻しますが、アーティストが見てほしいのは本当にスマホ越しで聞く顔や作品と集中していない耳なのでしょうか。
おそらく帰りかその道中で「Banksy展に行ってきたよ~めっちゃよかった~」という見ていない人でもいえるような感想と写真を載せて終わりでしょう。

葦とスマホと芸術

スマホを持たずに見ていたとしたら作品の細やかな表現や前見た作品とココとココは共通しているのではないかという気付きだけでなく、これは〇〇をイメージしているのではないかという考察さえでき複数段階の楽しみ方ができます。

そしてそこからその展示会の総括は別に言語化できなくてもいいと思います。それでも明らかに「超よかった~」というポテチくらい薄くてすぐバキバキになりそうな感想は生まれてこないはずです。

写真は展示会の内容を思い出すために撮るんだといってくる人もいるかもしれません。
でも「そうやってとってきた写真を今まで何回見直しましたか?」
おそらく1回や2回もしかすると0回のものもあるのではないでしょうか

僕は別に作品やそのアーティストの作品を覚えなくていいと思います。
覚えてくれるのはコンピューターに任せて僕らはそこでか味わえない感動や錯綜する感情を覚えていればいいと思うんです。

作品を撮影して終わるならそれはコンピューターと同じです。
かのパスカルは「人間は考える葦である」といっています。
もちろん意味は人間は自然界では弱いが、考えることができるという意味ですが、そうです。僕らはスマホと違って考えてその感情を持つことができるじゃないですか。


スマホで撮っていたらそれはただの葦なんですよ。
だってただスマホカメラの真ん中にある〇のシャッターボタンを押しているだけなんですから。

そんなことよりやるべきことがあるじゃないですか

僕らは考える葦なのだから。






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