法則、法律、どちらもlaw
法則を素直に訓読みすると、法に則る、となるだろう。
一方、法律を書き下すなら、法により律する、か、はたまた法に律せらる、か。
前者は、法に対して受動的であり、人間が存在する以前に所与のものとしてあるもの、というニュアンスがある。
対して後者は能動的である。恣意的に人間が立てるもの、という感じがする。
しかし、人間社会の法律、つまりルール的なものは、どこまで恣意的に作れるものだろうか。直感に反するもの≒脳内モデルにフィットしない≒経済原理に適合しない≒自然環境に適応的でないものを、いかに力によって強制したとて、形骸化を免れることは難しいだろう。
ちなみに、orderという言葉は、順番とか、秩序とか、命令と訳すわけだが、law=法、みたいにピッタリとくる訳語が思いつかない。
例えば動物の骨の化石を目にすると、うまく言語化できない法則や秩序の力を見せつけられる感じがする。それは、意思のようでもあり、調和という概念の具現化形のようでもある。
人間社会が、ことさらに、言葉をもって「法と秩序」を強調せざるをえないほどに、調和が崩れてしまうのは、一体なぜなのかと思う。
この文章を書きながらの思いつきだが、もしかしたら、それは、人類が技術革新によって、飢餓を失い、代わりに貧困を得てしまったから、なのかもしれない。
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