強化系と具現化系、ソロプレイ向きはどっち?

なんとなく調子がでなくて、ふと思い出して押井守メルマガを読み返していたら、「いまここにある現実」にはシビアに、そして「いまここにない現実」に関しては、いい加減に振る舞うしかないのだ、と観念しましょう、なる金言が目に飛び込んできて、たまには掘り返してみるものだと得をした気分になった。これだからオシマガは油断ならない。

あのお手紙を出したときには、この言葉の意味がわからなかった。

わからなかったから、当時予感していた通り、破綻が訪れたのだ、とも言う。

今ここにない現実に脅威なり恐怖なりを感ずることを、「不安」という。私は随分不安に悩まされやすい性格で、ちょっとその程度が人よりも激しいらしいと、三十年以上生きてようやくわかってきた。今ここにない現実にリアリティを感じるのは、HUNTER×HUNTERで言えばやはり具現化系の特質だろう。なんとなく、帳じりが合って、なるほど、と思う。

そういえば、攻め、守り、癒しのバランスがとれた強化系は、ソロプレイに向いている、なることが序盤で語られるが、果たして本当にそうだろうか?とは常々考えてきた。ソロプレイにおいては、不安を感じる力、すなわち危険予知こそが生命線であり、だからこそ具現化系の方が向いているんじゃないのかな、と。

不安に囚われすぎているときは、主観が強すぎるとき、とも言える。執著を手放し、自らの置かれた状況を出来る限り俯瞰で見ることで、バランスを取り戻すのがいいんじゃないかと思って、最近はそういうトレーニングを意識している。こうして文章を書くのも、まあ言わばそういうものの一環でもある。

押井さんは、むしろそんな鳥の目線ではなく、犬の目線で生きよと説いていた。もっとシンプルに、身体の声を聴きなさい、ということなのかもしれない。そんな境地に至るまで、まだ、いま少しの修業が必要なのだろうとも思う。

思えば、アヴァロンやアサルトガールズ 系統の作品では、ソロプレイのモチーフが随分と強調されていた。きっと監督も具現化系なのだろう。しかし、HUNTER×HUNTERファンと押井守ファンは、かなりの確率で重なるんじゃないかと常々思っているのだが、そんなことはないのだろうか。

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