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自分の歴史とテクノロジーの進化

最前線のテクノロジー(文明)は意識しているより早く進んでいる。

1995年、小学校に入学して間もない頃
夕飯時のテレビで
「東京」という、なんだか人がいっぱいいる場所で、「ウィンドウズ?95」というゲームソフトなのか、なんなのか、よくわからない四角い箱に大人たちが群れをなしていた。

その当時、家には大きくて、緑色だったか、青色だったかで「ハローページ」という分厚い電話帳が置いてあって、その中から自分の自宅の電話番号や友達の家の電話番号を見つけるのが何だか楽しかった。

それと初めて自分のゲーム機とソフトを買ってもらった。スーパーファミコンのドンキーコングだ。どこのお店で買ってもらったのか覚えてないくらい嬉しかった。ただ、硬いプラスチックに覆われたソフトの裏にはすぐホコリが溜まってしまって、頭に血がのぼるくらい繰り返しフーっ!!フーっ!!とお馴染みの儀式をやっていた。

小学生の頃は、しまじろうが好きだった。というよりとりっぴーが好きだった。けれども母親と姉とTSUTAYAに行った時に決まって借りるのは「Mr.ビーン」だった。どうやらこれはビデオとも呼ぶし、VHSとも呼ぶらしい。これもまた四角い箱の中に入っている黒いテープが歯車みたいに回って、どうしてそれがテレビに映るのか不思議で仕方なかった。

中学2年生の頃だったかな、
初めて携帯電話を買ってもらった。
スライド式の青いやつで、初めてのメールは友達の佐藤きょうやくんと「日本シリーズどっちが勝つのか」で盛り上がっていた。だけど一年もしないうちにスライド式はスライドしなくなってしまった。なので輪ゴムで固定して使っていた。前略プロフィールという、自己紹介したり、友達の日記を読んだりするサイトが流行っていた。

高校2年生の時、
彼女が「へーちゃん(機嫌がいい時と何かを催促するときはこう呼ばれていた)、ねえ、へーちゃんもウィルコム買ってよ」 と言ってきた。話を聞くと、どうやらそのウィルコムという携帯電話は通話料が定額で、ウィルコム同士だと半永久的に話し放題らしい。お金を貯める為に派遣バイトに登録した。
部活が休みの日曜日、初めてのお仕事はボリショイサーカスが地元群馬県に来た際のお手伝いだった。
まさか綱渡りをさせられたり、変な箱に入れられてメッタ刺しにされるんじゃなかろうか、、、とドキドキしていたが、僕の仕事は「万が一、熊が綱から落ちてしまった時に、その瞬間、下の安全ネットを思いっきり引っ張る」というよくわからない仕事だった。いまでもよくわかっていないんだけれども、見事に熊は落ちることなく綱を渡りきった。日払いでもらったお給料でウィルコムを買った。ウィルコムでの彼女との初めての会話は「熊の綱渡り」だった。

たった10〜25年前の話
OSは箱で買ってくる時代だった、
今はビデオデッキにVHSを入れることもなければ、ゲームソフトの裏側に息を吹きかけることもない。インストールとダウンロードで最新の映像や3Dグラフィックを体感することができる。

熊が落ちた際の安全ネットも機械がコントロールしているだろう。

個人情報は住所、電話番号、氏名までもが厳重に扱われる時代になった。そこはなんかすんなり良くなったとは言えない気がする、、、

そして何よりスマートフォンの登場によって、コミュニケーション、人との繋がり、情報収集、仕事、娯楽、とんでもなく早いスピードで全てが変わっていった。

昨年足を運んだクリエイターEXPOでは、多くの会社が生成AI、メタバース関連のサービスを最新のトレンドとして紹介していた。

今やテクノロジーにおけるフロンティアは、物理の世界までをもネットワーク上に作り上げようとしている。そこで衣食住、様々なライフラインやマイノリティまでも形成しつつある。
そしてまたそのスピードは本当にはやい、、、。

ただ少し違和感を感じてしまうのが、デジタル化=経済の成長戦略として言われることが多いことに関して

AIやメタバースは経済の発展の為のツールという認識が強い。

これはあくまで個人としての意見だが、テクノロジーの進化というのは人々の生活の利便性や時間の有効活用、人の暮らしがより良くなる為にあるべきなんじゃないかな?と思う節がある。

耳障りの良い理想論を言えば、より良い社会は、人々のより良い暮らしがあって成り立つものだと考えている

「あーちょっと炭酸飲料が飲みたいな」と思った時にすぐさま「必要以上に炭酸飲料を持っている人」とマッチできる、みたいな、人と人との繋がりを無くさず、従来の幸福は損なわず、そんなふうな発展を遂げてくれることを願っています

そういえば実家の押し入れにいるだろう「ファービー」は元気かな、、


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