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【旅と暮らしについて】 不安がどうでも良くなるまで -後編-


不安な気持ちは昔から私を危険から守ってくれ、挑戦する気持ちを押しとどめたりしていた。この目に見えない過保護な機能はある出来事をきっかけに消えてしまった。その時のことを紹介する。



2020 1/15

Siargao島から離れていく間、眼下に広がる椰子林やマングローブがひしめき合う景色はあっさりと流れていった。感傷に浸る暇も次の滞在先のことを考える余裕もない。ダバオへ向かう飛行機の中で何を考えていたのだろう。雲や海を見ていただけかもしれない。いくつか写真が残っている。1時間も経たずダバオに到着した。


ダバオを発つまで2時間30分ほどある。それまでにルフトハンザに連絡を取らないといけない。乗り継ぎのために一度建物から出てメインエントランスから入り直す。入り口のセキュリティを抜けると航空会社のカウンターが正面に並び、両替所や売店が所々に見える。引き返せるところまで順路を確認してから誰かに相談するつもりだった。


搭乗手続きをしてから、長めのエスカレータで2階へ登った。左手に進むとゲートがあった。出国税700ペソを払う場所らしい。ゲートの左側には手続きのカウンターがあって女性が一人で担当している。右側には50歳くらいの女性と30代半ばくらいの女性が二人でリラックスした様子で座って話していた。私はとりあえず出国税を払いゲートの先を見ると、出国審査のゲートがあった。これ以上は後戻りできないと思って、出国税ゲートでくつろいでいる女性職員に事情を説明した。


彼女は「もう大丈夫」という顔をして私に付いてくるように言った。彼女の自信に溢れた態度に私はほっとしていた。私は彼女に連れられてゲートを逆戻りしてエスカレータを降り、エントランスから外に出てすぐにあるフィリピン航空のオフィスに入った。携帯ショップのようなカウンターに窓口が3つくらい。数人がすでに待っている。彼女は整理券を取り私に付き添ってくれた。


彼女の親切な行動の裏で、私はこれはまずい状況だと感じた。フィリピン航空とはすでに相談して、ここではどうにもならないと回答を受けている。そのことを彼女にも伝えたが、自信たっぷりに大丈夫だと答えた。その時私は今までにない気持ちになった。「何が何でも」という執着を捨てたような感じで。私は彼女に私の命運を任せた。失敗でもいい。


私は他の客たちが話しているタガログ語の会話を10%ほどの集中力で聴いていた。焦りもなくただ静かに運命が決まるのを待つだけだった。40分くらいすると南国っぽい陽気さとキザっぽい雰囲気の中年男性担当者が、私の順番が来たことを告げた。状況の説明には少し慣れたのでスムーズに理解してくれた。返事はSiargaoと同じ。ここにいることの無意味さを気分が良い時の朝の挨拶のように告げられた。


「そうだよね。ありがとう」


私達は二人で歩いた道を戻り元のゲートに着いた。彼女は諦める様子も嫌な素振りも見せずに一緒にルフトハンザへ連絡をとる手段を探してくれたがとても難航した。ルフトハンザのフィリピンオフィスの番号は通じず、メールアドレスは見当たらない。クレジットカードのトラベルサポートには、通常このケースではフランスまでのフライトはキャンセルされると言われた。私は自力でなんとかする方法は思いつかず、出国税を理解できず揉めていた中国人観光客に日本語で説明したりもした。彼女はゲートが混雑するとそちらを手伝い、落ち着くとまたスマホでルフトハンザのホームページを調べ始めた。


私は彼女がなぜ諦めないのかが不思議だった。やっていることは堂々巡りしているように見えたし、彼女はすでに1時間以上私のために動いてくれている。解決策が見つかる見通しがあるように見えないのに。


「もういいよ。一人で大丈夫。本当にありがとう」


こんなふうに言うことができなかった。その時の私は時間切れへの焦りを感じながらもそれほど嫌な気分ではなかった。彼女の奮闘に自分の命運を任せることが、心地よかったのかもしれない。


ここにいられる時間の限界が来た。彼女には私の両親に頼んでいるところだと伝え、慌しくお礼を言った。彼女のほっとした顔を見ながら私の気分は楽になった。彼女は仕事場に戻り、私は出国手続きに向かった。


搭乗までの時間、最後悪あがきの成果は芳しくなかった。私は少し放心状態になっているのを感じながら飛行機に乗り込んだ。乗れないかもしれない飛行機が待つ香港に私は向かった。


香港まで3時間と25分ほどかかる。はじめのころ私は落ち着いていた。隣りには出国税を払った中国人のおばさま達がいて少しだけ旅の話をした。友だち同士でダイビングをしたらしい。一人の時間が戻り、私は5%くらいの奇跡への思いをいだきながら、残りの確率で起こる出来事にどう対処するかを考えた。予定していた帰国便は4週間後のローマ発。それを無駄にしない方法を考えてみた。すると楽しくなってきて、どうやってこのイレギュラーを楽しく乗り切るかを考えていた。そのうちに香港に着いてしまった。


私は空港の長い道を変な気分で歩いていた。やっとルフトハンザの職員と話せる。大学入試の合否発表以来の待ち遠しい結果がすぐそこにある。入国の手続きを終え、ルフトハンザのチケットカウンターへ向かった。


「ここはルフトハンザのカウンターですか」


と話しかけて事情を話した。すると対応してくれた女性はそっけない態度で、チェックインしたいのか違うのかと聞いてきた。できるもんならしてくれという気持ちで肯定すると、隣に座っている男性がパソコンを操作し始めた。通常より時間がかかっている。奇跡が起きる可能性が増えているように感じた。


男性が作業を終えるとチケットを差し出してくれた。私はただ何も考えられずにチケットを受け取りその場を離れた。プランB は必要なくなった。


ダバオから香港への間、いや彼女と別れる前から、私は「彼女があれだけ頑張ってくれたんだから、どうなっても構わない」という気持ちでいた。この気持ちが不安な心を打ち消していた。不思議なことだがそれ以降、不安という気持ちに悩まされることがなくなった。彼女が私の不安を消してくれたのだと私は思う。


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