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149.(93/365) 一つの軸で評価される世界。

新年度の日々が目まぐるしく進んでいく。
今年度は、校務分掌での仕事も年度初めに色々と動かなければいけないことが多く、なかなか早く帰れないでいる。
まあ、初期投資だと割り切って、連日残業をしている。
今日、同じ学年の隣の先生に、「実は、にょん先生と組みたくなかったんですよね。」と言われた。
ドキッとした。
何か悪いことでもしたのだろうか…と本気で焦った。
「どうしてそう思ったんですか?」と恐る恐る聞いてみた。
「なんかあんまりできる先生と組んだら、自分がみじめになっちゃいそうで…。だから、組みたいけど、組みたくないなあって去年、話してたんですよね。」
思わず笑いそうになった。
その先生がぼくに抱いていたイメージは、そっくりそのまま、ぼくがその先生に抱いていたイメージだったからだ。
そして、ぼくは対して仕事はできない。
遅いし、忘れっぽいし、やる気にムラがあるし、見通しを持つのが下手くそだ。
誰かのことを「できる」と思い込みすぎて、それが自分との比較対象になることで、そのギャップに落ち込んでしまう。
逆もまた、デメリットがあって、誰かに「できる」と思われ過ぎて、そのイメージが鎖のように自分を縛って、失敗ができなくなる。
そんなことは、大なり小なり誰にでもあるのではないだろうか。
目まぐるしく過ぎる日々。
新しい担当、チームでの動き始め。
他者からの評価を気にする気持ちをゼロにすることはできないかもしれない。
けれど、そこに執着することを手放すことはできるのかもしれない。
その執着は、関係性の固定化につながる。
相手のイメージを、そして自分のイメージを、自分たちで固定しすぎて、身動きが取れなくなる。
完ぺきな人間はいない。
誰だってミスをする。
でも、ミスをしたときに、「できる」というイメージがまとわりついていることで、ごまかしたり、取り繕ったりする可能性が生まれる。
仕事の持つイメージや市内や校内の組織文化によって、「できる」「できない」の評価には強弱がある。
多様な子どもたち一人ひとりを認めることは大切なのに、職員間での多様性を認めることは、子どもとはまた違うことなのだろうか?
「できる」「できない」にしばられるということは、つまり、結果を求めると言うことだ。
それは、結果の質を求めることから始まるバッドサイクルに陥ることにつながる。
関係性の質から始めるには、「できる」「できない」の一つの軸で同僚を見てしまいそうになる自分を手放していくことが大事ではないだろうか。
もっと豊かな軸を持って関係性をつくっていくことで、自分たちを縛る鎖から解放されて、もっと自由に面白がれるんだと思う。
そうすれば、おのずから結果は生まれるのではないだろうか。

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