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89.(33/365) めちゃくちゃ薦められた本。

一昨日だったか、職場の同僚のBさんが朝から興奮気味に話しかけてくれた。
「にょん先生!ちょっと…いや、ほんと…めちゃくちゃ面白い本を見つけたんですよ!もうね、トリックが…というか、もう紙の本でしか絶対にあり得ないんですよ!」
とのこと。
本が大好きなBさん。
今年度から一緒に勤務しているのだけれど、確か夏休み中、一緒にお昼ご飯を食べた時に、本好きであることが発覚。
それからというもの、ことあるごとにいい本があったら紹介してくれるようになった。
ぼくとしては本当にありがたい。
大体、本を買うとなると、Amazonで気になったものをポチるか、日課のような本屋への散策で目についた本を購入するかの2択になる。
けれど、そこに第3の選択肢が加わった。
それがBさんからのオススメだ。
Bさんとぼくの本の好みは、重なっている部分もあるけれど、かなり違っているところもある。
それはつまり、自分だけでは絶対に手に取ることがないような本をオススメしてくれる情報源が身近にいるということだ。
Amazonも自分で向かう本屋も、基本的には「ぼく」を中心に選書が進む。
Amazonであれば、これまでの購買履歴から傾向を読み取り、「こんなんどうでっしゃろ?」と画面上にどんどん表示される。
自分で本屋に行くときは言わずもがなである。
そこで選ばれる本は、今の自分が興味関心を持つど真ん中ストレートなわけで、「ちょっと引っかかるな」ってことも、自分のこれまでの人生の文脈の中から意識に掠ってくるもの。
どの選書も「ぼく」が前面に出るのが大前提。
だけれど、そうしていると、どんどん自分の考えだけを補強してしまうように本を読んでしまうという負の側面もある。
選書は書を選ぶと書く。
選ぶとは、それ以外を捨てるということに他ならない。
捨てた中に、何が眠っているのか、選んだぼくには知る由もない。
けれど、そこにBさんが現れた。
Bさんの薦めてくれる本は、「ぼくにきっと合う!」と思ってオススメしてくれるものもあるのだけれど、どちらかというと、「私はこの本良かったと思うの!」という本が多い。
そして、それがいい。
「ぼく」を前提としていない本に出会うこと。
これがとてつもなく、贅沢で幸せなことだなあと思う。
きっと同じ本が、突然Amazonから宅配で届いたとしたら、封を開けて表紙を見て、そのままにしているだろうと思う。
でも、オススメしてくれたのは、顔が見えないAmazonのAIではなく、いつも一緒に働く顔の見えるBさんだ。
だから、たとえ自分の興味中心からずれていたとしても、読んでみようかなという気持ちになる。
自分の興味で読むのではなくて、関係性で読む。
なんだかそんな読書もあっていいなって思う。
世の中には、さまざまな読書法があふれている。
でも、きっとどれが1番なんて絶対解はない。
「積読がなくならないどころか、増える一方やー!」というのは、ぼくの周りでもよく聞く言葉。
ぼくもよく言いがち。
でも、その言葉を言うとき,人ってどこか嬉しそうに感じるのはぼくだけだろうか。
毎日読んでいない本が家にある幸せ。
読んでいない本は可能性そのもので、手を伸ばせば、そこには、人生を変えるほどの出会いが待っているかもしれない。
大げさでなく、そう思う。
ぼく自身、一冊の本で読書人生が大きく開けた経験があるからだ。
その話は、気が向いたらまたどこかで。
でも、絶対解がない読書だからこそ、もっともっと自由に、読みたいように読みたいだけ読みたいものを読んでみようと思う。
食わず嫌いもあるけれど、それは「読まない!」と決めたのではなく、「今はとりあえず」と判断を保留しているだけ。
このさき、そんな本が自分にとっての大切な一冊になる可能性は誰にも否定できない。
最近、仲間と色々な形式の読書会をすることが増えた。
そのどれもが面白く、本の魅力の引き出し方は無数にあるんだということを感じさせられる。

ひとまずは、今日もも1ページでも読めたらなあと思う。
Bさんは、今回紹介してくれた本があまりに衝撃的だったらしく、「にょん先生、できたらでいいんですけど、もし金曜までに読み終わってたら、金曜日にちょっとその本について語りたいです!また読んだら教えてくださいね。」と興奮気味にお誘いしてくれた。
その金曜日が、今日だ。
そっちの方が衝撃的だ。笑
残念ながら、仕事の合間に読む時間が作れず、まだ1ページも読めていない。
けれど、土日があるので、読めるだけ読んで近いうち、Bさんとこの本について感想戦を繰り広げるのがとても楽しみだ。
職場で仕事とは少し離れたところで、こうして人間らしいつながりがあることはとても幸せなことだ。
本も本とともにある人も大切にしていきたい。

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