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【まじめ読み】List06負けない「絶対的な自信」が欲しかった~『40代を後悔しない50のリスト』第1章

自信というものの扱いは難しいと思う。
自信がありすぎると自信家、ほどよくあると頼もしい人、ほどよくないと謙虚な人、なさすぎると…挙動不審な人や思い悩み閉じこもり苦しむ人になったりする。

自信を持って或いは自信のある態度で発言する、行動する、判断する…

それは、強い言葉で主張できることを指すわけでもないし、性格に起因したその人の雰囲気やよくとる態度を指すわけでもない。
そして割と頻繁に打ち崩されたりもして、自信相場の乱高下が激しくなることもままある。

この本は40代、ビジネスマンいう軸で文章が書かれているけど、この話についてはそれだけにとどまらない内容だとは思う。

私は、ずっと意識してきたことがあります。それは、「相対的自信」ということです。「絶対的自信」など誰も持ち得ないのだから、競合する相手やライバルよりちょっと優れていればそれでいいという、「相対的自信」を大切にしてきたのです。                   <本文より>

40代を振り返って、後悔していることに「自分に自信が持てなかった」ことをあげるシニアの方の話を聞いていると、自分を過小評価している以前に、何の相対的基準も持たない中で、漠然と「自信の有無」を感覚的にとらえている人がほとんどのように思えます。まるで自信をもつことを恐れているかのように。                       <本文より>


相対的というのは比較対象がある。
自分が同じでも相手が変われば結果は変わるし、自分も相手も変わらなくともその他の条件の影響で結果が変わることもある。

まるで自信を持つことを恐れているかのように

これが本質なのかもしれない。

相対的に考えるのなら、「生簀の中では自分のほうがこの点で絶対的に優位だ」というような発想をする、それは、この生簀で一番だと胸を張って、ということ。
自分が始められる生簀の大きさからのレッスンみたいなものだ。

そして、自信を持てたらなにがどうなるのか。
こちらのほうが重要だ。
先輩方は、絶対的な自信があれば何をしていたんだろう?


今の自分にとって、自信があればもっと○○できるのに、ということがあるかというと、実はよくわからない。

そういう思考になったきっかけは、20代後半で読んだ本のある章の影響かもしれない。

あなたが気にするほど、他人はあなたを見ていません
     自分のまわりにいいことがいっぱい起こる本(原田 真裕美 著)


まったく周りを気にしないような人間にはなっていないが、ある程度のところで「自分が気にしてるほど周りは自分のことを気にしてないんだ」と思うようになって、いろいろ楽になった。

自分の中では「失敗してしまった」と思っていても、それについていつまでも執着してくるような人はいない。
自分の中では「ここがすごくうまくいった」という部分があっても、その詳細まで見てくれているような人はいない。

みんな実は自分のことで精いっぱいなのだ。

失敗したりして一瞬恥ずかしくても、うまくいって目立っても、みんなそんんなのすぐに忘れる。
過去の失敗はそのうち笑い話になるし、過去の賞賛はいつまでも固執するものではないだろう。


その時その時の環境で何かを進めるのに不安がないくらいの、その程度の自信があれば、相対的までなくとも、比較的自信がある程度でも十分なのだと思う。

あれこれ考えながら自分が自信を持てることってなんだろうと模索していても、自信は貯金はできない。
掴めない雲のようなものだから、なんとなくある気がする、くらいのユルい感覚でもいいのかもと思う。

自信はない、不安ながらもいろいろやっていれば、小さいことでも所謂実績を積んでいくことで、不安も減っていく。
不安と自信は関係していると思う。
実体験でいえば不安を消すのは手応えで、手応えが自信を作る。


とはいえ、自信がないと迷うときもある。
自分ひとりのことでない、周囲の人にも影響が出る判断や行動をするときだ。

そういうときは、「自信がない」「一緒に考えて」と正直に話して、一緒に考えてもらうのがいいと思う。
不安が減るし、この本の言葉でいうと、相対的の条件を変えることができるからだ。
周囲を巻き込んで何かを一緒に進めることの難しさに直面することにもなるけれど。

どうやって自分を上手にうまく乗りこなしていくか、そういう類の難しいテーマだと思う。


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