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今のアントニオ猪木を見て思う事

写真は2021年6月12日、アントニオ猪木さんのYouTubeチャンネル『アントニオ猪木「最後の闘魂」』に投稿された現在の猪木さんの姿だ。

最初は目を疑った。

僕はプロレスラーとしての猪木さんの姿に熱狂した世代ではない。
むしろ、ほとんどの若者たちにとっては、アントニオ猪木という人は事あるごとに「元気ですかー!」と叫び、そのデカイ手で、何人もの芸人たちをぶっ飛ばして、政治家になった人くらいのイメージだろう。
だが、アントニオ猪木は想像を遥かに超えて偉大だ

僕は彼の偉大さについて証明するエピソードをいくつか知っているから、闘病生活を応援する意味を込めていくつか共有したい。

今から約30年前、彼は日本外交史に残る伝説的な活躍をした事をご存知だろうか?

猪木という男は、
北朝鮮に幾度となく渡り、
フィデルカストロからは島をもらい
そして何より、
イラクから日本人の人質41人を救出したのだ。

「猪木!ボンバイエ!」の意味

“スポーツを通じて国際平和”を合言葉に猪木が「スポーツ平和党」を結成したのは1989年のことだ。

この前の年、「負ければ引退」の憶測が飛び交う試合で引き分けとなり、プロレスラーとしては引き際がうやむやになった。

参議院選挙に出馬し、ほぼ100万票を得て比例区から初当選した。(実際には猪木の名前を直接記入してしまった無効票が多数あったという)
キャッチコピーは「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」という破天荒すぎるものだったが、史上初のプロレスラー国会議員にとっては何の問題もなかった。

1990年8月、突然、イラクがクウェートに侵攻した。
国連安保理の経済制裁決議に抵抗するため、
当時のサダム・フセイン大統領はイラクとクウェートに在住の日本人(外国人)たちに出国を禁じあっという間に人質に取った。
約1ヶ月、外務省は開放に向けた交渉を行うが解決することは出来ず事態は戦争開戦の危機が高まるばかりだった。

猪木がイラクに乗り込んだのはこの時である。

実は当時のイラクは親日だった。猪木はイラク到着後すぐに、次々と要人と会談することになった。

猪木の提案は「スポーツを通した平和の祭典を開催する」ということだった。

この頃、日本国内では猪木の外交におおきな批判が沸き起こっていた。
「ばかげている」「成果なしか」

それでも1990年12月2日と3日に猪木はバグダードで新日本プロレス主催の興行を行った。

帰国の間際、大統領の息子は平和の祭典開催に対する父の感謝を伝えた。
父である大統領の特別令により、皆さんは奥様方と一緒に帰国できることになりました

猪木は41人の人質を引き連れて日本に帰還。世界中の誰もが信じなかった世紀の救出劇が達成された瞬間である。
現地で何が起きているのか、自分の目で確認したくなった。政治家や官僚が、誰も行けない、行かないのなら、俺が行くしかないよね
猪木は後日、このように当時の心境を振り返っている

「誰も行けない、行かない」という言葉には、闇がある。永田町の闇だ。
僕も仕事で付き合う中で国会議員は結局、お役所仕事のようなもので、新人に活躍の場を与えないというのが鉄則なのだと知った。
外務省はといえば、自らの交渉が遅々として進まないにもかかわらずそれが最善だと信じてやまなかった。今になっても、猪木の武勇伝は、偶然の産物で「有り難迷惑」として受け継がれている。

彼らが決して出来ないであろう事を成し遂げたにも関わらずだ。

参考文献:『猪木道――政治家・アントニオ猪木 未来に伝える闘魂の全真実』(河出書房新社)

『モハメド・アリに挑んだ男』

今から数年前、僕はキューバを訪れた。
説明するまでもないが、キューバはアメリカ・フロリダ州から150kmほどの距離に位置するカリブ海の島国だ。首都ハバナは1950年代アメリカ車が現役で走り、石畳にカラフルな家々、所々にスペイン領時代の聖堂などが並ぶレトロな街並みの都市である。1959年の革命以降、社会主義国となり、日本とは言わば敵対国家になった。

訪問時、街を歩いていると、大抵の日本人は「お前はチーノ(中国人)か?」と声をかけられるだろう。
僕がいつも「ハポン(日本人)だ」と返すと、とても意外だというような表情をされた。
そして次にこう言われる
「日本人でよかったな。カストロに免じて許す」
「アメリカ人だったらボコボコにしてた」
身の危険を感じ身震いしたが、「カストロに免じて」の意味やアメリカとは同盟国なのに日本人がボコボコにされない理由について考えた。

当時はもう亡くなっていたが、革命の英雄フィデル・カストロの事を調べ始めると意外な事が判明した。アントニオ猪木とは親密な仲だったというのだ。

アントニオ猪木はカストロ前国家元首と複数回会談し、英雄の帽子を拝借したり、日本酒で乾杯し泥酔したりして楽しんでいたようだ。
お高く止まらず常識破りな人柄で国民から愛されていたカストロは、実は親日家でもある。
昭和天皇が亡くなった時、外国で1週間も半旗を掲げたのはキューバが世界で唯一だ。
それに加えて、猪木が受け入れられた理由は『モハメド・アリ(アメリカのプロレスラー)に挑んだ男』だからだ(と思う)。
社会主義国の中では、アメリカは敵。プロレス絶世期に絶対的王座にいたモハメド・アリはそれを体現する者で、日本人が彼の脚を壊し引き分けに持ち込んだことには、さぞ笑いが止まらなかったことだろう。

猪木はカストロから、宝を乗せた無数の海賊船が近辺に沈むと言われるカリブ海の無人島を贈られている。

1914年のクリスマス

ここで少し話を脱線する。
猪木の理念に関係する逸話だ
世界で初めて現代スポーツが平和を実現したのは、第一次世界大戦中だった1914年の12月24日から25日にかけてフランドル地方の戦線でドイツ軍とイギリス軍との間で行われたサッカーの試合なのではないかと思う。

戦争は長引いていた。
兵士たちの間に不満が蔓延していた。
不意に塹壕ごしにドイツ兵が手を振ったのはクリスマス朝10時頃のことだ。
兵士たちは呼応するように塹壕から這い出ていき、自然と停戦が生じた。
別の場所ではドイツ兵が塹壕の中にクリスマスツリーを掲げて『きよしこの夜』を歌った。
これにイギリス兵も応じたのだ。
サッカーの試合が行われたのはこの後。
フィールドは塹壕間の無人地帯。ボールには土嚢や空き缶を使った。

この時のサッカーは一時的に戦争を肩代わりした。
現代人に身近な事としてもよくある。
日韓代表戦は分かりやすいだろうし、オリンピックでの金メダル獲得数は国力が反映されていると言われる。

宗教や政治に並び、スポーツは争いを止める事ができる。戦争を引き起こすこともありえる。
要は侮ってはいけない。
アントニオ猪木の一見非常識な行動だって、初めからちゃんと外交としての力を持っていたということだ。

後にも先にも猪木だけ

猪木の非常識さについては、2000年代に入ってからの議員生活における北朝鮮への訪問が記憶に新しいだろう。
安倍政権の2017年9月、北朝鮮が建国記念日に日本方面へミサイルを発射するのではと憶測が飛び交った。

そして、猪木は世間の反対を押し切って訪朝した。

冷静な識者からすると猪木の行動は、馬鹿の一つ覚えのようで滑稽かもしれない。
当時、国際的に見ても北朝鮮に対する風当たり強く、当時の菅官房長官からは渡航を自粛するよう諭された。
この時でさえ、訪朝の回数はすでに30回を超えている。

唯一確かな事は、後にも先にも、こんなことを実行できる現役国会議員はもう現れないだろうということだ。
結局、現代の"政治家"は差し引きで物事を考え、天秤にかけ、そして安全牌を選ぶ。
きっとそれはリスクを最小に抑え込もうとする努力からだろうが、同時に若かりし頃に持っていた信念とか使命感というものを、貫いている政治家は何人いるだろうか。

アントニオ猪木は明らかに違う。

北朝鮮への訪問がいつも正しかったとは思わないが、しがらみに囚われて決断できずに椅子に座るだけのほとんどの政治家たちよりは、結果を残してきたし、評価に値すると認めざるを得ないと思う。

      NHK政治マガジンより

平和の祭典について思うこと

今こそ、猪木さんに会いたい。
そして東京オリンピックを開催すべきかどうか聞いてみたい。もう遅いかもしれないが、どうすべきだったのか聞いたみたい。

別の記事でも書いている通り、僕は信念とか使命感の力を心の底から信じている。
だから、今回のオリンピックを中止すべきだと本気で願っている人って、本当はどれくらいいるのかなとふと疑問に思うことがある。
誤解を解いておきたいが、これは中止か開催かについて僕の意見を述べているのではない。

だけどこれほどまでにみんな中止すべきと考えているかのような状況と論調があるのに、大規模なデモやボイコットの一つも起きないのはなぜだろうと、純粋に疑問に思う。
※密を避けるためなんて言われたら元も子もないが

やはりみんな本心では、平和の祭典が"開催されない"ことは可能な限り避けたいのではないか。
それは無意識のうちなのかもしれない。
でも先陣をきって行動を起こす人がいないのは事実だ。

語弊があるのでもう一度言うが、中止すべきとは言ってないし、開催すべきとも言ってない。

猪木ならなんて言うだろう。

「断固開催すべき!!」か、それとも「政治や利権のために開催するのはやめろ!!」か。

...分からん。

結局最後はみんな「最高のオリンピックだった」と言えるのだろうか。

僕は「どっちつかず」だ。
ずるくて申し訳ないが、意見なしではなく本当に分からない。 

でも本当の本当に世界のみんなが開催を望んでないとするならば、少なくとも強引に開催することで体現できるような平和の理念は一つもないと思う。

いずれにせよ、楽しみにしていた東京オリンピックがこんな不幸に見舞われてしまいひたすら悲しい。

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