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傷をつける

201904212036

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自傷行為をする人間が、理解できなかった。

何故わざわざ痕が残る様な傷を付けるのか、神経が知れないと思っていた。
土台痛いじゃないか。傷痕を見るだけで眉間に皺が寄る程、傷を付けた時の痛みが想像できて、不快。

本当にどうかしていると思っていた。
若く潔癖な頃には、心の弱さ故だといっそ嫌悪していた。
何の益も無いどころか、傷痕まで残ってその後の人生に影響を及ぼす様な事。
馬鹿らしい。どうせ周囲の気を惹きたいからやっているだけでしょ。
パフォーマンスお疲れ様です。

それでいて、自身は自殺未遂などしていた。
機会が有って、自殺未遂をした事が有ると人に明かすと、
「へえ。じゃあ手首なんか切ってるの?」
と面白半分に袖を捲られた。
大変不愉快だった。
自傷行為と自殺は全く異なると、プライドを持っていた。

今思い返せば馬鹿馬鹿しい事だ。
自傷行為と自殺は確かに異なるかもしれないが、自傷行為と自殺未遂は他所様から見ればいかにも似たり寄ったりではないか。
どちらも意志薄弱にして自分に甘い。倫理観の欠如。そのくらいの認識だろう。
それに過剰に反応する自分の心底こそ探らなければいけなかった。

しかし当時の私はこう思っていた。
私は悪戯に周囲の気を惹く為に狂言自殺した訳では無く、
心底絶望してもう死ぬるしか無い、自分が死ねば皆幸せだと無知故の稚拙な考え、
とにかくも思い詰めて、あれこれ準備していざ吊った、ところが、
意識が遠のいて、ああ今死ぬ、今に本当に死ぬ、と悟った瞬間、
ざあっと冷静な思考が降ってきて、
鬱状態の脳がさあっと晴れて、
自分は実は思っている程悪くないし、こんな形で死ぬべきでないと悟り、
手足の拘束を引き外し、首の縄を外して、
医師に治療を求めた、結果自殺し切らなかった。

だから、人に構って欲しいばかりに浅はかな考えでファッション感覚で手首に剃刀を当てる人間とは違うのだ、高潔な精神を持っている、くらいに考えていた。
とんでもない偏見を持っていた。無知故で済まされない、残忍でさえあった。
いっそ高潔を旨とするならば、死に切るべきだった、
結局の所浅ましく生き延びたばかりに、当時の馬鹿なりに深い悩みも全て一蹴されて、狂言だなんて嗤われるのだ、と歯噛みして、いよいよ偏見を強めて。

まあその事は、今となっては、
命を落として世間様に美談らしく飾り立てられるなんざ馬鹿らしい、
どう嗤われようと汚く足掻いてでも面白おかしく生き延びた方が余程楽しいと思う様になったけれど。
俗物になったのは間違いない。
しかし若い頃ってどうして昔の侍ばりに尊厳を優先するのだろうか。
生活の苦労を知る内、そんな高潔さは跡形も無く消えました。私に清貧はかないません。


十六くらいの時に、自傷行為は意識があって自分の意思でやっている訳ではない、
ただ構って欲しくてやる様な人はほぼ居ないと知った。
パニックになって、自分の制御外でどうしようもなくやってしまって、激しく後悔するとか。
そうなる程に抱え込み思い詰めてしまう解決困難な事情が有るとか。
パフォーマンスだとか決め付けていた自分を恥じた。
本当に浅ましい人間は自分であったと知った。

しかし、やっぱりまだ未知の世界を認められず、自分を制御できないなんて不具も同じだとか思う時も有った。
当然の様に、自らを律して然るべきだとか、潔癖な若さが誰よりも自分を縛った。

二十歳の時に、尊敬している自律的な先輩が、実は身体の見えない部分に痕が残る程の傷を付けていると明かしてくれた。
社会的で模範的な人で、それ故に運命の不憫に振り回されがちな所は有ったが、いつでも安定している様に見えた。実際はそうでは無かったのだ。
先輩は、私の顔色を悟ってか、自分もかつては私が最初の文章で書いた様に「自傷なんて有り得ない」と思っていたと語った。
もう潔癖な若さの薄れる歳だった。
潔癖と雑居し始めた堕落が、無抵抗に「そういう事も有るだろう」と受け入れた。

それから少しして、精神的な自傷も有ると知った。
私は慌てた。
もはや習い性になっていたからだ。
一人で部屋に籠り、ひたすら思考の刃でサンドバッグの様に自分を息継ぎの暇も無い程殴り続ける。
自分を甚振るのが大変心地良かった。
自罰的な感情と暴力的な衝動が同時に満たされたから。
面白い事に、私は急速に自傷行為に理解のある様な態度になった。

さらに少しして、とんでもない事に気が付いた。
傷付いて傷付いて、寝床から這い出る事さえ出来ず、胃痛で胎児の様に丸まって唸る時、
私は確かに生きていると感じていた。
大変堕落的な事に、そうして苦痛に悶える時間がいっそ心地良かった。
それ無しには、自分が生きていて、自分の意思で生きたがっていると意識できなかった。恐ろしく痛みに依存していた。

自傷行為の深淵を見た。そう思った。
自傷行為とは、
行為自体はいっそ死に急ぐ様な非生産的なもので有るのに、
その実、他のどういった行為よりもはっきりと生きる欲求を呼び覚ます生産的なものだ。
自傷行為は他ならぬ自分の為にするのだ。いっそ自己愛の証明だ。
実感としてそれに気付いてしまった。

私は馬鹿だと今尚思う。
馬鹿でなければ生きる意味を見失う事なんて無いのだろう。
それか、いっそ生きる意味なんて大それた事まで考えなくても、自分が生きたいと信じていられるのに違いない。
痛みは馬鹿でも分かる。原始的な刺激だ。

私は度々自分の心に傷痕を残す。
いっそ消えて無くなる方が怖いと思っている様だ。
心の傷痕に変わらないものを感じて安心するだなんて馬鹿げている。
世間も人も自分さえも、知らない内に変わっていってしまうから。
痛みを想像して眉根を寄せていた頃が懐かしい。あの頃私は潔癖だったが健全でもあった。
先輩もこんな気持ちだったのだろうか。

傷をつける。
生きる為に傷をつける。
自殺はもうしないだろう。
私は生きていたいのだから。
傷をつける。
生きて、痛い。

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