見出し画像

植木鉢に私を半分やる事にした話

202303052342

**
植木鉢に私を半分やる事にした。
大した理由はない。毎朝通勤時によく見る植木鉢が三回連続で風に煽られて倒れていたからだ。それだけ。
今朝三回目の助け起こしのち修復をやってのけた後、急に思いついた。

「いいかい、よく聞いて。君に私を半分あげるから、これからは倒れそうになったら、半分の私でエイッと踏ん張るんだよ」
早速植木鉢に言い聞かせる。
「君は不服に思うかもしれないが、この提案にはちゃんとした理由がある」
私は得意げに続けた。
「なぜ君だけ毎回倒れると思う?それはね、君が一番軽い上に端っこに置かれているからだ。君に中身がないのが一番の原因なんだよ」
心なしか植木鉢が不服そうな顔をする。
「そういう訳だから、君に私を半分あげる。半分の私を頼んだよ」

それからまた三度植木鉢の前を通ったが、今度は三度とも植木鉢は倒れずに澄ました顔で街路を見ていた。
私はすっかり安心して、それきり植木鉢の事はほとんど忘れてしまった。

三月ほど経って、嵐の季節が来た。
いつものように駅に向かっていると、道の真ん中を横切るように点々と土と欠片とが続いており、歩道から車道へ、目を移すと、何と今まさに植木鉢が車道に転がり落ちようとしているところではないか。
私は大慌てで傘を投げ捨て、植木鉢に手を伸ばした。
その瞬間、大急ぎの軽自動車が通りを駆け抜け、私の身体は鞠つきのゴムボールみたいに通りの反対側に飛んでった。
意味が分からない、といった表情の運転手と、とにかく必死な顔した私が一・五秒間視線を合わせたのち、私の意識はシャットダウンした。

目が覚めると雨で、病院のベッドの上にいた。
どうやら一命を取り留めたようだが、指先一つピクリとも動かない。
三日目に母親がきて何事か声をかけていったようだが、私の耳にはあまり分からなかった。
病院の人も、職場の地位も、一人住まいの家も、遠く曖昧でよく分からない事象に感じられて、まるで現実感がなかった。
私の内側には何もなく、心音も呼吸も消化音もまるで聞こえてこないので、内臓も何も空っぽになってしまったのではないかと感じられた。
実際その時にはもう既に何も入っていなかったのかもしれない。

仕方がないので、毎日植木鉢の事を考えた。
雨の日も風の日も、雪でも降った日にはもう心配でたまらない。あのあと、また植木鉢が倒れていないといいのだけど。
不思議なことに、植木鉢の事を考えている時は現実感がありありと感覚となってあらわれた。
雨が染みていく感覚、陽に干される感覚、風でくるくる回る感覚、植木鉢でいる感覚は楽しかった。
ベッドの上の物体はピクリとも動かず何の刺激も無い様子だから、いずれ火葬場に連れて行かれるのだろう。
私にとっては植木鉢でいる感覚が生きていくに足る適刺激に感じられた。

行き場のない私を遺体安置所が管理する。
そろそろ私の身体は終わりらしい。
空っぽのお腹に火が溜まっていくのをぼんやり眺めながら、私は意識をシャットアウトした。

そうして、毎日街路の端っこで通りを眺める生活が私の日常になった。
植木鉢はどうやら半分の私をしっかり引き受けてくれていたらしい。
植木鉢の肌感覚はしばらく刺激の無い生活を送っていた私を大いに満足させた。
私の中にはみっちりと土が詰まっており、雨水はすいすいと私の中を通り抜けて気持ちが良く、時折私のヘリを摘む指の感覚は特に私を満足させた。
雨の日も風の日も私は楽しかった。

春になってチューリップが咲いた。
そうかこの植木鉢チューリップだったのか。
私は上を向いて花びらの付け根のところを眺めながら、植木鉢に私をやって良かったなあと心底思った。

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,412件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?