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路傍に菊

202012141818

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交通事故の現場に菊花を供え続けたらどうした事か根を張り毎年毎年咲くようになった。花も悼んでいるのねえ、と近所の人の間でちょっとした名所になったけれど、内心冷や汗。
だって誰も死んでいないのだ。
あそこは私が憎きあやつを殺してやろう、いつ殺そう、いつか殺そう、きっと殺そう、と、願掛けのつもりで、そうつまりイメトレのつもりで毎日欠かさず菊花を供え続けた「交通事故現場(予定)」であって、けして本当の事後現場なんかでは無いのだ。おまけに事件が起きた形跡も無いのに何だかずっと花が供えられているという事で、二度、三度、警察の人が来て、結局何も見つけられず、いたずらだと言うには近所の噂話が尾鰭ついて広がっているので収まらず、何だかかんだか体裁ばかり整えるために、「飛び出し注意!事故多発」とか黄色い看板を刺して帰った。とんでもない。飛び出し注意どころか、まだ何もしていない。フライングのフライングである。訳がわからぬ。
そうこうしているうちに、看板の金属が朽ちて土質が変わったのか、菊の花が萎れてきた。元より寂れた薄灰の風景に黄色一色、だからこそパッと映えていたところが、デカデカとした看板に視線を占有され、塗りたてペンキの脇で萎びた様子が何とも嘆かわしく、そうかと思うとペンキの煤けていくのに従って菊花も煤けていくようだったから、もうただただ侘しい。
私は堪らなくなって、菊花のために菊花をまた毎日供え始めた。
しかし一度萎びたものはどうにもならず、公道を掘り返して土を入れ替える訳にもいかず、介抱の甲斐なく菊花はある日ぷつん、と切れて路上に踏み躙られているのが発見された。
とうとう死人が出てしまった。
私が事故もないのに菊花を毎日供え続けたばっかりに、せっかく芽吹いた命が死んでしまった。
私はこの顛末にどうしようもなく諸行無常の気持ちを覚え、結局憎きあやつを殺すのは取りやめる事にした。つまりあいつは路傍の菊のおかげで命拾いしたのである。

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