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ノスタルジック・アディカウント #9
『音乃』の意思は固く、やはり過去について語ろうとはしなかった。
それでも――どういった心境の変化があったものか――『音乃』は一方的だった態度をわずかばかり軟化させた。
それによって、ののも少なからず機嫌を直した。
いや、発散してすっきりしたからなのか。
ともかくも、とげとげしい態度を取ることはなくなり、ののはいつもの、ののに戻った。
過去を聞くことしか考えていなかった俺は、話したくないと突っぱねられてどうしようもなくなってしまったが、ののには意外にも、他の策があるらしかった。
『音乃』を〈直す〉ための策。
ののなりに昨日一晩、いろいろ思案したらしい。
そもそもののは、あの夢のあとに起こったこと――『音乃』がいじめられ始めたこと――を俺から聞くまで知らなかった。ろくに会話すらなかったそうだから、単純に、『音乃』の引きこもりさえなんとかすれば解決する――と、その方法を「寝ないでいっしょうけんめい考えた」そうである。
「メイクすれば、ぜったい帰れる!」
これがののの主張だった。
風が吹けば桶屋が儲かるみたいな言い回しだが、本人いわく――
外見が変われば中身は変わる。
可愛くなれば可愛くなれる。
可愛くなれたら自信がつく。
自信がつけば外に出たくなる。
女の子ってそういうもの、だってののもそうだし!
そしたらぜったい帰れるよ!
――だそうである。
女の子でもない、〈のの〉でもない俺にはちょっと理解が及ばなかったが、まあののらしいといえばののらしい。
『音乃』も同意こそしなかったが拒絶もしなかったので――ものすごく嫌そうに口を引き攣らせてはいたけれど――、ののの作戦は実行に移されることとなった。
とはいえ、ののは簡単なメイク道具しか持っていないそうで、もちろん母親不在の『音乃』の家にそういったものがあるはずもない。
ならば姉貴を頼ろうと、俺たちは『音乃』を連れて『俺』の自宅に戻った。
もちろん母さんの出掛ける時間には合わせてある。姉貴には、『音乃』の携帯を借りて連絡しておいた。
「あー、みぃちゃんはおんなじー!」
出迎えてくれた姉貴を見るなり、ののは例によってももんがみたくぴょんと飛びついた。
ののと姉貴は、じつは結構仲が良い。ののがかなり懐いているし、姉貴も妹みたいだと可愛がっている。頻繁とまではいかないまでも、連絡も取り合っているらしいし、二人で買いものに行ったりもする。メイクやファッションの相談もちょこちょこしているそうだ。
ただそれは、あくまでも俺たち側の世界の話。
こっちの姉貴は、見知らぬ女子高生にべったりされてたいへん困惑したようである。しばらく玄関先で固まっていたが、やがて大人の対応でののを受け入れ、俺たちも中に招き入れてくれた。
問題は――『音乃』だった。
明らかに緊張しきっている。
履き古したクロックスを脱ごうとしてつんのめったり、三和土に揃えて置こうとして転びかけたり――首まで真っ赤にして、姉貴や俺たちの視線から逃げるように体を縮めてうつむいていた。
大丈夫かと声を掛けるのさえはばかられる。
〈あの日〉まで同じように過ごしていたのなら、姉貴との面識は少なからずあるはずだけれど、それでもたぶん小学校以来。感覚としては初対面に近いだろう。
普段家から出ない、他人と接することのない『音乃』が――自分のテリトリーたるあの部屋ならともかくも――自然体でいられようはずもなかった。
リビングに移動し、ののから事情を聞いた姉貴は、納得したというよりおもしろそうだと目を輝かせ、さっそく二人を自室のある二階へ連れていった。
『音乃』が気懸りではあったけれど、男子禁制と言われてしまってはどうしようもない。
残された俺はリビングのソファに腰を下ろした。
久しぶりに一人になったような気がする。
ゆっくりと時間が流れていく。
少しのあいだ、微睡んだ。
ののたちが戻ってくる気配はなかったので、俺は、暇つぶしくらいの軽い気持ちで、今朝『音乃』に渡され、なんだかんだで聞きそびれ、ひとまず四つ折りにしてブレザーのポケットに突っこんできた――巨大掲示板のコピーをひらいてみた。
流し読みしてみる。
『音乃』が立てたスレッドとは、ちょっと思えなかった。
親記事には、事情を説明するでもなく、情報を求めるでもなく、ただ該当する人――つまり〈今現在並行世界にいて困っている人〉を呼び込むようなコメントしか書かれていない。
『音乃』ならば違う書き方をするはずだ。
これに対して寄せられたレスはほとんどが罵詈雑言である。たまに自分がそうだと宣言する者が現れると、釣り(ウソ)だなんだと、それにも罵倒のレスがつく。
立てた本人は、のらりくらりとかわしている。
俺が昨日見た中にも、こういうのはいくつもあった。
なぜ『音乃』はわざわざこれをプリントアウトしたのだろうか。
怪訝に思いながら読み進めていた俺は、二枚目の真ん中あたりで――ふと目を止めた。
〈人はみな、己の人生を導く術を持っている。
ただし自己を操ることは不可能である。
人間を支配しているのは心という魔ものである〉
明らかに異質だった。
それにもいくつかレスがついていたが当人からの返答はない。
ぽんと投げかけて消えていく――そんな顔のない投稿者の姿がみえるようだった。
以降、スレッド主からの反応もなくなっている。
そして三枚目――レスが落ち着いたころを見計らうようにして、また同じ文面がぽんと投稿されていた。上のほうだ。真ん中より下のほうにもう一つ、最後のほうにもう一つあって――終わっていた。スレッドはまだ続いているようだったが、『音乃』がプリントアウトしたのはここまでだった。
「己の人生を導く術――」
『音乃』が見せたかったのは、たぶんこれだろう。
ののに反発していた彼女が折れたのも、これが頭にあったからか。彼女がなにも言わなかったから、断定はできないけれど。
「…………」
しばらく考えこみ、考えあぐねた。
『音乃』が三枚目で終わらせたということは、以降はたいして必要ないということなのか。
それでも先が気になった。スレッド全体が見たい。
携帯が使えないのは本当に不便だ。
『俺』の部屋のパソコンを借りようかと腰を浮かせた――時である。
リビングのドアが開いて、姉貴とののが顔をだした。
「お待たせぇ」
二人してにやにやしている。
「終わったの?」
俺が聞くと、二人は同時に頷いた。顔が引っこむ。じゃーん、と口での効果音が加えられ、ドアが大きく開けられた。
『音乃』がおずおずと姿を見せた。
――なるほど。
たしかに様変わりしている。
短時間でここまで変わるものなのか、と俺はちょっと驚いた。
「どうよ、ケイ」
姉貴が得意げに胸を張る。
「髪は内巻きにしてショートボブ風。お顔はののちゃんみたいに――っていうかまあ同じ顔なんだからあたりまえだけど――化粧映えしそうだなって思ったんだけどね、髪の色や雰囲気もあるから、あえてナチュラルメイクで済ませました。くちびるだけ二色使ってグロスも重ねて、ぷるんぷるんにしてみたの。服は、私の昔のやつがちょうどよくって――」
「ののの服があったらよかったんだけどなぁ。お嬢様っぽいのも、のの持ってるから」
顎に指をあてて、ののが首を傾げている。
さすがは同一人物というべきか、ののと並ぶと、『音乃』はまさに双子の妹のようだった。ぶあつい前髪が右の眉の上できれいに分けられ、顔が露わになっているからなおさらだった。
『音乃』は顔を真っ赤にしてうつむいている。
――それにしても気になるのは。
「……おまえも化粧してない?」
ののである。
さっきと今とでは、仮面をかぶったみたいに顔が違う。
「いつもしてるもん」
「いや、なんか――濃い。いつもより」
睫などばちばちでやたらと目が強調されているし、頬は血色といえないような色づき方をしているし、唇も、照り焼きかと思うくらいにてかてかしている。
いや、俺の喩えが悪いだけで、変ではない。
きっとこれが姉貴の言った化粧映えするとかいうやつで、洒落た私服にでも着替えればファッション雑誌に出てきそうな感じではある――とは、思う。
ただ制服だし、化粧の主張が強すぎるから違和感があるのだ。
姉貴が、はあ、と呆れたような溜息をついた。
「うちのケイもたいがいだけど、そっちのケイもデリカシーないねえ」
「……悪かったな」
「ってゆーかののじゃなくて、こっちの『のの』! 可愛くなったと思わない?」
ののが『音乃』と腕を組む。ぴとりと体をくっつける。
互いに打ち解けた――わけでは、どうやらないらしい。『音乃』はうつむいたまま人形みたいに固まっている。されるがままになっている。
「ああうん、いいと思う」
俺が答えるや、姉貴はまた溜息をついた。
「もうすこし気の利いたコメントないの? いいと思う、って適当がすぎるでしょ。まったく。女心がわかってないわねえ」
「ねえ」
姉貴とののが首を傾けあっている。
「いや――」
べつに適当に言ったわけじゃない、いいと思うから「いいと思う」と言っただけで――と反論しようとしたのだけれど、
「あの」
硬質な『音乃』の声に遮られた。
「すみませんトイレ借ります」
言うなり『音乃』は出て行ってしまう。「あ、場所」と姉貴が慌てて廊下に顔をだし、手振りをまじえて「右奥」と告げる。
返事は、少なくとも俺には聞こえなかった。
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