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ノスタルジック・アディカウント #7
携帯のアラーム音で目をさました。
少し仮眠をするつもりが、がっつり眠ってしまっていたらしい。
座ったままだったせいで体中が固まっている。倦怠感が詰まっている。
テーブルから身を起こした俺は軋む横首を撫でながら、脇にどけたパソコン画面へ目をやった。
並行世界に関するネット記事の見出しが並んでいる。
部屋を見まわした。
寝て起きたら元にもどる――なんてことは、やっぱりなかった。味気ない自室ではなく、ロックな『俺』の部屋である。
「……暑」
暖房が効きすぎている。
汗を掻くほどではないけれど、むっとしていて不快だった。
テーブルに投げだされているリモコンの温度設定を見てみると、28度。
俺は暖房を止めて窓を全開にし、腹を出して眠っている『俺』を揺すり起こした。
冬の朝の澄んだ風が心地よく吹きこんでくる。
一度止まったアラーム音がふたたび鳴りだす。
『俺』は一度布団にくるまって、うー、と唸ってから、ようやく起きた。
「――なんかわかった?」
あくびまじりの寝ぼけまなこで聞いてくる。
明け方近くまでパソコンで調べていたのだが――収穫は、ゼロに近い。
『音乃』の言っていたように並行世界の存在を示唆する論文めいたものも見つけはしたが、難しくって読めたものではなかった。パラレルワールドに行った、という眉唾な体験談もあったにはあったけれど、あまりにも嘘くさかったり、実際嘘だったりするものばかり。流し読みして終えてしまった。
俺が首を振ると、『俺』はぼりぼりと腹を掻きながら「まじかー」と言ってまた大あくび。枕元に置かれていた携帯をいじくりだした。
「っつーかおまえ、今日どうすんの。俺学校行くけど」
「とりあえず、ののといろいろ試してみるよ」
「そー。一応、俺の番号教えとくか? 知っときゃうちからでも掛けられんだろ」
「ああ、そうだな。頼む」
『俺』の告げた番号は――俺のと、同じだった。
「まじか。ああ、だからおまえの圏外になってんのかな」
「そうかも――」
――だとすると。
俺はクッションの横に投げだしてあった携帯を取り、画面にののの番号を表示させた。
「なあ、今から言う番号に掛けてみてくれないか」
「……誰の番号?」
「のの」
今まで寝ぼけまなこだった『俺』の表情が、あからさまにこわばった。ベッドから下り、俺にスマホを押しつけてくる。
「勝手にかけて。俺、準備するから」
部屋から出て行ってしまった。
――なんだろう。
こっちの『俺』は極端に『音乃』を避けているような気がする。昨日の話しぶりからしても、嫌悪からくる、という感じじゃない。
どちらかというと、逃げている――。
『音乃』に聞けば、なにかわかるだろうか。
画面に表示させていたののの番号を打ちこみ、掛けてみる。が、すぐに留守電に切り替わってしまった。
「ええと。結城佳といいますが……深山音乃さんの――」
『――パラレルのひとですか』
唐突に応答があった。どうやら聞いてはいたらしい。
それにしてもすごい確認の仕方である。
そう、と応じるとすぐにまた、
『携帯使えるようになったんですか』
と聞いてくる。
「いや、これ、こっちの『俺』の。俺たちの番号が同じだったから、もしかしてと思って」
返答はない。
「……のの、いる? ええと、うちの」
『待っててください』
がさがさと音がして、あの電話です、と『音乃』の声。
それがまったく同じ調子で二度ほど繰り返されて、うっさいなあ、と――今度は寝起きらしいののの地声。
そのやり取りが続いたあと、ようやく不機嫌そうなののが電話口に出た。
『はぁい、もしもしぃ?』
「俺だけど」
『だれぇ?』
――完全に、寝ぼけている。
「俺。佳」
ちょっと間があいてから、飛び起きるような気配があった。
『佳くん? どうしたの?』
声の高さがみごとに戻った。
俺は、こっちの『俺』の携帯から掛けてることを伝えてから、本題に入った。
「昨日、あのあとこっちの『俺』と少し話して、気になることがいくつかあった。できたらそっちの『音乃』もまじえて話したいんだけど、あとでそっち行って平気? うちでもいいんだけど、昼にならないと母さん、家出ないから」
こっちの母さんも、今日は昼から夕方までパートに出る。これは昨夜『俺』に聞いて確認済みだ。ちなみに姉貴も同様で、夕方から居酒屋のバイトに行く。
ぽかんと、変な間があいた。
たぶん――昨日の出来事、置かれている現状を思いだしているんだろう。
やがてこほんと控えめな咳払いがひとつ。
『えっと、パパが――こっちのパパがお仕事行くのが八時前らしいから、そのあとなら大丈夫だよ』
「おばさんは?」
『……それも、大丈夫。いないから』
「いない?」
『うん。それもちょっと――あとで話すね』
「……わかった」
じゃああとで、と俺はののとの通話を切った。
窓から入ってきた冷たい風が、俺の頬を撫でていく。
夜は藍色が強いように感じたが、朝はとにかく白かった。世界がやたらまぶしく感じる。
外に出ると目がちかちかした。白に灼かれるようだった。
曇り空だというのに――ぶあつい雲が朝陽を浴びた新雪のように輝いていて、鼠色のアスファルトこそ冬の曇天のように思えて、俺は一瞬、世界が逆さまになったような錯覚をおぼえてくらくらした。
八時にこっそり家を抜けだして、約束どおりに『音乃』の家に行った。もちろん一人だ。『俺』は、帰れるといいな、とだけ残してさっさと学校に行ってしまった。
ののが迎えてくれた。昨日同様、『音乃』の部屋に通される。
外はあんなにまぶしかったのに、家のなかは相変わらず真っ暗だ。闇にむしばまれている。
俺もののも着替えを持っていないので、互いに制服のままだった。
こっちの『音乃』も昨日とまったく同じ格好、同じ姿勢でパソコンに向かっていた。
飲みもの持ってくるね、とののは部屋に入らず、リビングに行った。
俺が中に入ってドアを閉めると同時に、『音乃』がいきなり口をひらいた。
「なにか言ってましたか」
「え?」
「昨日話したんですよね。そちらのおうちで――」
その、結城君と、とめずらしく口ごもりながら『音乃』が言った。ののから聞いたのか。
「なにか言ってましたか、彼」
「……まあ、ちょっと。とりあえず、ののが戻ってきてから話そう」
返事はなかった。
かちかちとマウスを叩きはじめる。
俺も昨日の位置に――ぽかりと二つ、穴があいたままだった――座ろうと動きかけたとたん、どこからか機械音がした。
がー。が。が。が。が。
静かな部屋にはかなり響く。地鳴りのようだ。俺は思わず足を止めた。
どうやらプリンタらしい。『音乃』は椅子を引き、体育座りのまましばらく机の下を見つめていたようだが、音がやむと、膝のあいだに上半身を押しこむように体を曲げて机の下に片手を突っこんだ。
出てきた手には、数枚のA4サイズの印刷紙。
俺のほうに突きだしてくる。
「なに?」
受け取った俺は、立ったまま紙面を見た。
それは、昨夜俺も見た――けれど嘘くさい、とすぐに見るのをやめてしまった――巨大掲示板のスレッドを印刷したものである。スレッドタイトルは〈今現在並行世界にいて困っている人〉を呼び込むようなものである。『音乃』が立てたのだろうか。
「これ――」
「あの人が戻ってきてから話します」
ばっさりと、仕返しのごとく――である。
仕方なく、俺は無言で穴のひとつに腰を下ろした。『音乃』は飽きもせずにマウスを鳴らしている。
やがてののが戻ってきた。
お茶の入ったコップを三つ、色褪せたお盆に乗せている。
「ごめんね、うちと置いてある場所がぜんぜん違うから、ちょっと時間かかっちゃった」
『音乃』の机にひとつ置く。
ほかにテーブルがないので、ののはお盆を俺に預けて、散乱している衣服やなんかを掻き分けて小さなスペースを作り、お盆ごとそこに置いた。
「……おばさん、どうしたの?」
声をひそめてののに聞く。
あんまりいい予感はしなかった。
「いないです」
返事をしたのは『音乃』だった。
「離婚したので」
――離婚。
俺は思わずののを見た。
ののはコップを両手に包んで、らしいの、と悲しそうに頷いた。
彼女の両親は――俺たちの世界では、会うたびののが愚痴をこぼすくらいに仲が良い。明るいおじさんと優しいおばさん。愚痴こそこぼすが、それは幸せの裏返しだ。昔からののは両親のことが大好きだった。
今朝「いない」とののから聞いて、まさかとは思ったけれど――。
ののがコップに口をつけながら続ける。
「いつ離婚したのかも、なんで離婚しちゃったのかも、『のの』、話してくれなくて」
「他人の家庭の事情に首をつっこむのは良くないです」
「他人じゃないじゃん」
「他人です」
『音乃』が冷たく言い放つ。
ののは乱暴に、お盆の上にコップを置いた。
「昨日からずっとこの調子なんだよ。あなたには関係ないです、とか言ってさあ」
俺に訴え、きッとののは『音乃』を睨む。
「関係ないことなくない? あたしだって〈のの〉なんだよ。あんたのママとパパは、あたしのママとパパでもあるんだよ。理由くらい教えてくれたっていいじゃん」
すると『音乃』がうっそりと、少しだけ、こちらに顔を向けた。
「そのひと昨日からずっとその調子です。なんとかしてもらえませんか。うるさいです。こっちのことに口を出す暇があるのなら、さっさと解決策を見つけて出て行ってください」
そうしてまたパソコン画面に顔を戻す。
「――……まじむかつく」
ののが口の中で呟いた。
水を打ったように静かになった。
しかし空気は軋んでいる。
ぎすぎすと、聞こえぬ音を立てている。
「……昨日の、ことだけど」
俺は『音乃』の背中に向けて、慎重に口をひらいた。
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