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ノスタルジック・アディカウント #3
うちから徒歩で約五分。六階建ての古いマンションのちょうど真ん中、三階に、のの――深山一家が住んでいる。褪せたエントランスのポストで一応確認してみたが、俺同様、ののの自宅も同じであるらしかった。
ちょうど一階に停まっていたエレベーターに乗りこみ、三階に上がる。
廊下を進んで二つ目の部屋――302号室。
インターフォンを鳴らしてみた。
応答はない。
「いないんじゃねぇの? そもそもこっちに来てないとか」
そんなはずはない。こっちの『のの』が引きこもりなら、一緒に帰ってきた彼女は間違いなく、俺の知っているののだ。
そう答えるのももどかしかった。
もう一度、インターフォンのボタンを押す。
「なあ、――なあって。いなかったらどーすんだよ」
「探しに行く」
「そーじゃなくて」
もう一人の『俺』は、なぜそこまでと思うくらい心底嫌そうな顔をしている。そわそわと落ち着きもない。俺が少しでも諦める素振りを見せたら、即エレベーターに引き返してしまいそうだ。
俺の視線を受けて、『俺』は言い訳がましく言葉を繋ぐ。
「さっきも言っただろ。俺、深山とはずっと会ってねぇし。もし深山が――ソッチの深山がまだ帰ってきてなかったら? 親、とか――出てきたら、なんて説明すんだよ」
その間にも俺はインターフォンを二回鳴らしてみたが、やはり応答はない。
ドアを叩いた。
「のの!」
「おい、やめろって! バカなのおまえ!?」
ぎょっと飛びあがった『俺』が腕に取りつくのも構わず、もう一度、ドアを叩いてののを呼んだ。
ドアの向こうに人の気配がした。
続いて錠の外れる音。
俺が体を引くのと同時に、勢いよくドアがひらいた。
ゴンッとすぐそばで鈍い音が聞こえたが、飛びだしてきた栗色の頭のほうに俺の意識は奪われる。
扉を開けた格好のまま、こちらを凝視しているのは――
「……のの?」
確認するように呼び掛けてみる。
彼女はそれで確信したらしかった。
「佳くん!」
泣きそうに顔をゆがめると、ぴょんと、ももんがみたいに飛びついてきた。俺の胸に顔をうずめて、「ふぇええん、こわかったぁ」と子供顔負けの泣き声をあげる。
間違いない、俺の知っているののだ。
――すぐに見つかってよかった。
ほっとして、隣に立っていたはずの『俺』に顔を向けると――額をおさてうずくまっている。どうやら開いたドアを避けきれず顔面強打したらしい。
大丈夫か、との俺の問いに恨めしげに顔をあげた『俺』は、けれどすぐに、痛みなど忘れてしまったように目をまるくした。
「え、――え、ソレ深山?」
ののを指さしている。
そう、と俺が頷くと、さらに愕然と口をあけた。
「マジかよ、――っつーか、は? おまえらそういう」
「違うよ」
俺は自ら否定する。
ののに言われるよりも、先に。
「ゼロ距離タイプなんだよ、コッチのののは」
「ちょっ……、誰にでもやるみたいに言わないでよっ」
ののは慌てて、俺の胸から顔を離す。
さっきのふえーんはどこへやら、彼女の目許に涙の跡はかけらもない。
ついでに言うなら、ののは事実、誰にでもやる。
俺は何度もそれを見ている。見せられている。
「――佳くん、もしかして」
今度はののが、『俺』を見て目をまるくした。
「そう。『俺』」
「やば」
どういう意味の「やば」かわからないけれど――思わず出た一言だったんだろう、声のトーンが一段落ちた。地声に近い。ものめずらしそうにまじまじ見ている。
『俺』はといえば、しゃがんだまま早々に顔を背けてしまった。赤くなった額をこすっている。手で壁を作っているようにも見える。
俺はののへと視線を戻した。
「――そっちは?」
どうだった、と俺が聞くと、ののはとたんに気まずそうな顔をした。
「えーと、ね」
一歩後退し、俺から離れる。作った笑顔がぎこちない。
「のののほうも、かなり違うっていうか――こっちの佳くんも衝撃だったけど、のののほうも、かなりハードインパクトっていうか」
両手の指を合わせてもじもじしている。
「ずっと引きこもってるって、聞いたけど」
「……そうみたいなの」
ののは観念したように溜息をつくと、
「とりあえず入って。中で話そう」
ドア側に体を寄せて、俺たちを家の中に促した。
けれど。
「――俺、帰るから」
すっくと立ちあがった『俺』が背中を向ける。
「いや、ちょっと待てよ」
「べつに俺がいる必要もねぇだろ。関係ねーし。自分そっくりなヤツと顔突き合わせてんの、正直言って気味悪ィ」
「そりゃわかるけど」
「なんかの拍子で来たってんなら、なんかの拍子で帰れんじゃねぇの? じゃーな」
振り向きもせずに片手を振って、エレベーターに乗りこんでしまった。あっというまに扉は閉まり、階数表示が下がっていく。
行っちゃった、とののが呟いた。
「いいの? 佳くん」
「まあ――」
とにもかくにもと、無理やり連れてきたのだ。
俺自身が軽くパニックを起こしていたのもあったけれど、もし万が一のとき――たとえば『のの』の家が違う場所にある、とか、こっちの『のの』とはち合わせになった場合とか――異物である俺と『こっち側』の住人たちとの橋渡しになってくれればと、そう考えてのことでもあった。
ののとは無事に再会できた。
そもそも嫌がっていたし、気味が悪いのもよくわかる。わざわざ追いかけて引きずり戻す必要もないだろう。
俺はののに頷きだけを返し、玄関に入った。
家の中は、異様に暗かった。
驚くほど静かだった。
俺の記憶にあるののの家は、といっても小学生のときの記憶だけれど、玄関も明るくて、穏やかな雰囲気に満たされていた。
遊びに行くと、いつも廊下の突き当りにあるリビングからおばさん――ののの母親――が顔をだし、「いらっしゃい」と微笑んでくれる。優しい匂いに包まれる。
なのに、ここにはそれがない。
陰鬱とした暗さ、無機質な静けさが、床といわず壁といわず浸透しきっている。まるで空き家みたいだった。
がちゃん、とドアを施錠する音までがやけに重たく、強く響く。
「……なんで、電気つけないの?」
俺はののを振り返った。すると。
「部屋から出ませんので」
意外な方向から答えが返ってきた。
廊下に顔を戻すと、リビングの手前、半端にひらいた部屋のドアから白い顔が半分ばかりのぞいている。
幽霊みたいだった。
俺は声もなく飛びあがる。
「……ののも、悲鳴あげた。ぶつけそうになっちゃった、かばん」
ののが苦く笑う。
「殴りかかられました」
白い顔がもそもそ言った。
「お茶もなにも出しませんがそれでもよければどうぞ」
一息で喋りきるような早口、抑揚のない声。
けれどそれは、まぎれもなく『深山音乃』の――言ってしまえば俺の知っている彼女の地声、だった。
白い顔がふッとドアの向こうに消えた。
俺はあらためてののを振り返る。
ののは、気まずそうな顔で小さく頷いた。
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