ノスタルジック・アディカウント #5
「どういうことなんだろうね?」
俺とののは、『音乃』の家をあとにして、駅に向かっていた。
首をかしげるののに、俺も「うーん」と夜空を見上げる。
ののの夢がこっちの『音乃』の記憶なら、俺のみたのはこっちの『俺』の記憶――つまりあれは、こっちの世界の出来事だったのだろう。
けれど。
『音乃』は口を閉ざしてしまった。
俺たちがなにを聞いても、沈黙しては機械みたいに「同じルートをたどれば戻れるんじゃないですか」と繰り返すだけ。話したくない理由があるのかと尋ねてみても、やっぱり同じ言葉を吐く。
埒が明かなくなってしまった。
ので、俺たちは彼女の主張する「同じルートをたどる」という方法を実行してみることにした。
「携帯使えないの不便だな」
「ね。こっちの佳くんと連絡取れれば、夢のことも聞けるのに。ねえ、ほんとにいいの? おうち寄らなくて」
先に『俺』に、夢について聞きに行こうか、という話も出たのだけれど。
「母さん帰ってきてたらまずいし。俺のこと見たら卒倒するんじゃないか、あの人」
「たしかに。ののと違って、髪の色が違うだけで双子みたいだもんね。あと、真面目そうなその眼鏡と」
ののが人さし指で、自分の目元をとんとんとたたいた。
やたら眼鏡がネタにされる。
じつを言えば伊達だから――どっかの誰かに似合いそうだと言われて掛けてるだけの飾りだから――俺も強くは言い返せない。視力が落ちたから仕方ないだろ、とも言えないのだ。落ちていないから。
「――そういえば、おばさんいなかったな」
いつも家にいるはずの、ののの母親。
「うん。ママは、って聞いてみたんだけど、『のの』、答えてくれなかった。聞かれたくないみたいだったから、遠慮してみた」
「してみた、って」
その言い回しはおかしくないか、と思わず笑ってしまった俺に、ののも笑う。
「まあ、このまま帰れるんなら変に首つっこむ必要もないしな」
「……帰れるかなあ。帰れたら、いいなあ」
駅についた俺たちは電車に乗りこみ、四つ目のターミナル駅――といえるほど大きくはないが――で降りた。俺もののも、ここでそれぞれ別の路線に乗り換える。夢をみたタイミングや携帯の使えなくなったタイミングからいっても、学校まで戻る必要はないと踏んで、下り線のホームへ渡って、引き返した。
が、駄目だった。
三往復してみたが、スマホは圏外のまま。
景色のコントラストも、やはり強いままだった。
眠らなきゃ駄目なのかとか、あのときと同じ車両に乗り、同じ座席に座らなければ駄目なのかとか、いろいろ試してみたけれど、どれもうまくいかなかった。
というか眠ろうとしても眠れなかったし、そもそも同じ車両に乗ることはできても同じ座席に座ることはできなかった。ちょうど大人たちの帰宅ラッシュの時間でもある。ローカル線とはいえ、ぎゅうぎゅうにならないまでもそれなりに混み合う。
結局、俺たちは駅を出て、それぞれの自宅に引き上げることになった。
「うざがられそうだなあ、のの」
ののは肩を落としている。
「俺もだよ。けど、さすがになあ」
他に打つ手もない。行く宛てもない。野宿できる季節でもない。
制服姿ではファミレスもネットカフェもたぶん夜中に追いだされる。うろうろしてたら補導されるに決まっている。補導されたら――説明のしようがない。
自宅に帰るしか、道はなかった。
「案外、寝て起きたらもとの世界に戻ってるかもな」
少しでもののの不安を取り除ければと言ってみた。
「夢オチ的な?」
ののはそう言って笑ったけれど、
「絶対ないって思ってるでしょ、佳くん」
「……まあ」
――気休めにもならないか。
ののは肩を落としてとぼとぼ歩く。
俺は歩調を合わせてゆっくり歩く。
「あたし、思ったんだけど」
ふと、ひとり言のようにののが言った。
ののはまれに、自分のことを〈あたし〉と呼ぶ。
「こっちの『あたし』のSOSってこと、ないかな」
「SOS?」
そう、と言ってから、うつむいていたののが俺のほうへ顔を上げた。
てっきり塞いでいると思ったのだが、彼女なりにいろいろ考えていたらしい。
「あの夢は『のの』の――えっと、こっちの『のの』の記憶だったわけじゃない? それを見て、ののたちはこっちに来て……そしたら『のの』はあんなふうになってて」
「うん」
「それで、ええと、だからね。『のの』が、苦しい、助けて、ってののたちを呼んだ――みたいな」
なるほど――と言うのを、俺は思考に気を取られて声に出すのをすっかり忘れた。その沈黙を違う意味に捉えたらしい、ののは恥ずかしそうに焦りだす。
「ち、違うかな。違うかも、ごめん」
「――いや」
その可能性は――ある。
「けど……」
「そうなんだよね」
俺の言わんとしたことを察したらしい、ののが深く溜息をついた。
「助けて、って感じじゃないんだよね、こっちの『のの』」
そうなのだ。どっちかというと――というか思いっきり、早くいなくなってくれ、関わらないでくれと言わんばかりの態度だった。
「まあ、俺も今日、こっちの『俺』と話してみるけど。夢のこととか。ののも、それとなく聞いてみて」
うん、と答えながら、ののはまた肩を落とす。
「答えてくれるといいんだけどなあ、あのこ」
そんな話をしているうちに、分かれ道となる交差点についた。信号は青である。渡ろうとした俺のコートの袖を――ののが、ちょんと引っぱった。
「……なに?」
「その、ここでバイバイかな、って」
マフラーに口元をうずめて小首をかしげ、甘えるような上目遣い。
――絵になるから困るんだ、本当に。
「言われなくても送るけど」
「ちょっと怒ってる……?」
「怒ってない」
怒ってる、わけじゃない。
ののが覗きこんでくる。俺は顔を背けて歩調を速めた。ののの前を歩く。
「パパたち、帰ってきてるかなあ? 鍵あけて入ってくの、やめたほうがいいよね。びっくりするよね」
「……そうだな」
「でもインターフォン鳴らして、もし出てくるのが『のの』じゃなかったら、それはそれでやばいよね?」
「……そうだな」
「佳くん、やっぱ怒ってる?」
「怒ってない」
俺はゆっくりと息を吐きだしてから、後ろをついてくるののに歩調を合わせた。横並びになる。
「インターフォンでいいんじゃないか。鍵のほうがまずいと思う」
「でもさ、パパたちとはちあわせたらなんて言えばいい?」
「友達です、とか適当言って入れてもらえば?」
「ともだち」
「――は、無理か」
そんな俺たちの不安は、杞憂に終わった。
インターフォンを鳴らしたら――すんなりとではないけれど――応答したのも出てきたのも『音乃』だった。駄目だったんですね、とひどく迷惑そうな声を出した彼女にののを託し、俺も自宅へ戻った。
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