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ノスタルジック・アディカウント #4

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 通された部屋は、怪獣が大暴れしたかのごとき惨状だった。
 服やノート、文具、ぐしゃぐしゃに丸められた紙――ありとあらゆるものが散乱している。

 部屋の主である『音乃』は、俺たちを迎えるでもなく、勉強机にひらかれたノートパソコンに向かっていた。体育座りをするように椅子に両膝を立てて、猫のように丸めた背中をこちらに向けている。

 ずいぶん細い。小枝みたいだった。

 肩の上でばっつり切られた黒い髪。
 かち、かち、とマウスをクリックする音だけが――部屋の時間を動かしている。

 踏み場とぼしい床に、ぽかりと、一か所だけ穴があいていた。
 ののはそこに腰を下ろすと、隣にもうひとつ穴を作って手招いた。

「並行世界」

 俺が座るやいきなり『音乃』が言った。

「――だと思われます」
「え?」
「一応、こっちのののと話した結果っていうか」

 ののがそう補足する。

 しかし補足されたところで合流したばかりの俺は「なるほど」とはなれなかった。一応『音乃』に断りを入れて、まずはののに、交差点で別れてから今に至るまでの経緯を説明してもらう。

 ほとんど俺と同じだった。

 帰ってきて、違和感に気づいて、本人と遭遇して、すったもんだがあったあと――いったいなにが起きているのかと話が進んで――。

「ののとその、へいこう? な世界? の話をしてるときに佳くんたちが来てくれたの。ののには出なくていいですって言われたんだけど。ののいつも居留守使ってるからって。でも佳くんの声が聞こえて、それでのの――」

 〈のの〉だらけでわかりにくい。が、なんとなく理解はできた。

 佳くんは、とののに聞かれる。

「俺も似たようなもんだよ」

 かいつまんで説明し、ののもこっち側に来ているかもしれないと思って飛びだしてきた、と話を結んだ。

「それで、ええと。こっちの『音乃』と話した結果ってのが――」
「並行世界だと思われます」

 さっきとまったく同じ温度で、『音乃』が繰り返す。

「並行、世界」

 聞いたことがある。

「パラレルワールドってやつ?」
「おそらくは。断定はできません。でもそうとしか考えられません。ただ並行世界の場合、そもそも本人同士が遭遇することってあんまりないと思います。小説や映画でしか見たことがありませんので科学的根拠はまったくなく申し訳ありませんが――」

 まったく申し訳なさを感じない淡々とした早口で『音乃』は続ける。

「たいていは〈合体する〉か〈入れ替わる〉か〈押し出される〉かするはずです」
「ええと、つまり――」

 俺は言いながらののを窺った。
 神妙な顔で『音乃』の背中を見つめている。

 これは、まったく理解できていないときの顔だ。

「つまり――俺たちのいた世界をA、こっちの世界をBとすると」

 思考の整理とののへの解説を試みながら、ひとつずつ『音乃』に確認していく。

「合体っていうのは、A世界の俺とB世界の俺が合体――これは融合する的な意味だよな」

 ひらいた両掌を、指を組むようにして合わせる。
 『音乃』はこちらを向かないまま、

「そうです」

 と声だけで肯定した。

「入れ替わるってのは、要するにAの俺がB世界に、Bの俺がA世界に同時に移動する――こう、シャッフルされるってこと?」
「そうです」
「押し出されるっていうのは」

 それだけがよくわからなかった。

「並行世界がいくつも在るものと仮定して、AのあなたがB世界に来たことにより、BのあなたがC世界に〈押し出される〉ということです。この場合、CのあなたはD世界へ、DのあなたがE世界へ――それが続いた結果、ZのあなたがA世界にといった具合に」
「なるほど、こう、ぐるりと円を辿っていく感じか。のの、わかるか?」「いまので、なんとなく」

 ぎこちなく、ののが頷く。

 まあ、実際に俺たちの置かれている状況と今の話とではそもそも違うわけだから――完全に理解できなくても、それはそれでいい。

 『音乃』がふたたび、もそもそと早口で喋りだす。

「こんなことが現実に起こるなんて私自身信じられないんですが、事実起こってしまっている以上『なんでどうして信じられない』って感想を言い合うのは不毛だと思います。原因はわかりません。どうやったら戻れるのかもわかりません。
 が、セオリーで言えば――これも創作物上のセオリーではありますが――きっかけになった場所に行くとか、同じ行動をもう一度とってみるとか、そういうのではないかと思います。これも断定はできませんけど。調べても出てきませんし、並行世界の行き来なんてそんな現実離れしたこと。
 ――まあ、並行世界に関する記事や、存在する可能性を示唆する論文やなんかはいくつか見つけましたが。まだ読んでませんけど」

 ――本当に、別人みたいだ。

 〈のの〉の科白とは思えない。

「要するに原因を探るよりも戻る方法を考えるのが先決、可能性があるとしたら同じ場所、同じ行動――ってとこか」

 ののがまた神妙な顔をしているので、確認がてら要点だけを抽出する。

 しかし『音乃』はまったく反応しなかった。まるまった背中は微動だにせず、かッちかッちとマウスを叩く音だけが聞こえてくる。

 ののが溜息をついた。

「……さっきからずっとこんな感じなの」

 耳打ちをしてくる。
 すると。

「あなたはいつもそんな感じなんですか」

 すぐに冷たい声だけが返ってきた。
 ののは戸惑ったように、俺と『音乃』の間で首を巡らせる。

「え? うん、まあ、……ね?」

「自分だと思うと気持ち悪いです」

 びしり、と――ののの表情にひびが入った。

「あ、あなたに言われたくないかなあ、そういうの」

 懸命に繕ってはいるけれど、声も笑顔も引きつっている。

 話が変に逸れてきた。俺は強引に元に戻す。

「けど、きっかけって言ってもな。普通に電車乗ってただけだし、降りたときに違和感があったくらいで――これといってなにも」
「なかったんですか、本当になにも。降りる前。電車に乗っている間。いつもと違うこととか変なこととか」

 ――そういえば。

「変な夢は、みたけど」
「説明してください」

 『音乃』が初めてこっちを向いた。

 さっきはよく見えなくて気がつかなかったけれど――分厚い前髪が、見事に目元を覆っている。まるで黒い壁のようだ。

 俺の視線から逃げるように、彼女はすぐにパソコン画面へ顔を戻してしまった。

 俺は彼女の後頭部に向けて、夢の内容を簡単に説明した。
 記憶と少し違っている、小学校の頃の夢。

「あ、みたぁ!」

 いきなりののが、興奮気味に声を張った。

「ののもみたよ、その夢! おぼえてるのと違うなって思ったこと、おぼえてる。あのとき、佳くん一緒に拾ってくれたよね? ののの教科書とか。ふでばことか。で、信号変わっちゃったから青になるの一緒に待って――ね?」

 そう、その通りだ。
 しかし夢の中の俺は、それを無視した。
 そして夢の中でののは、一人でそれを拾ったという。

「……それ」

 『音乃』が、呟くように言った。

「たぶん私の記憶です」




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