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ノスタルジック・アディカウント #11

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「……彼が――」

 『音乃』は膝に掛けていたコートを引き上げた。
 俺たちの視線から隠れるみたいに、口元をうずめてしまう。

 もそもそとした声が続く。

「結城君がどう話したのか知りませんが、本格的に無視が始まったのは、もう少し先のことです。その前に、すこし――いろいろと……ありました」

「いろいろって?」

 『音乃』は答えず、遠慮がちにののを見た。

「憶えてますか、石野紗枝」

 ――イシノサエ?

「いしの――、あ」

 怪訝そうに寄ったののの眉が、すぐにひらく。

「さえちゃん? 憶えてる、憶えてる。なつかしい!」

 懐かしむというより久々に発したその名に興奮したように、ののは表情を輝かせた。腰をまげて覗きこんでくる。顔が近い。

「佳くんも知ってるよね、さえちゃん」
「サエ……?」

 俺は少しだけ顎をひいた。

「ほら、小学校のとき。二年生――三年生だったかな。同じクラスの、ののと仲良しだった」

 記憶をたぐる。

 そういえば、いた。

 ののがいつも四人くらいでくっついて遊んでいたうちの一人だ。ポニーテールで気の強そうな、ツリ目がちな女の子。たしか家が金持ちだかで、そんな自慢をよくしていた。

 『音乃』の瞳がふたたび虚空へ投げられた。

「夏休み明けでした。どこだったか忘れましたが家族で海外旅行に行ったとかで、そのときの女子グループ――彼女を含めて四人分の、お揃いのキーホルダーをおみやげに――」

「あー! それも憶えてる、きらきらしたやつ!」

「……そうです。それを受け取った日の、帰りでした。誰かのいたずらで、私のランドセルのロックが外されていて……交差点で信号待ちをしていたときに靴紐がほどけているのに気がついて、結び直そうとかがんで――中身をぶちまけました。急いで拾って帰りましたが、そのときに、そのキーホルダーの入った小さな袋を拾い忘れてしまったんです」

「あ」

 唐突に、思いだした。
 あのとき、薄茶色の小さな紙袋を、俺が拾ってののに渡した。


 ――よかったぁ。さえちゃんからもらったの。


 そう言って、ののは心底ほっとしたように笑っていた。
 『音乃』は俺の声に一時停止のごとく言葉をとめたが、すぐにまた先を続ける。

「夜になって無いことに気がついて、慌てて探しに行きました。……時間も経っていたので、蹴とばされたりしたんだと――思います。横断歩道の真ん中に落ちていました。車に踏み潰されていて、中身も、割れていました。それで――」

 『音乃』の瞳が揺れる。

「それで、そのあと、いろいろあって。――私は学校に行くのをやめました」
「その、いろいろっていうのは」
「さえちゃんにシカトされた?」

 遠慮のかけらもない声で、ののが聞いた。『音乃』からの返答はない。
 無視かよ、と低く呟いたののがこれみよがしな溜息をつき、まげていた腰を伸ばした。

「……仲、良かったんだろ?」

 どういうことかとののを見あげる。
 ののは軽く肩をすくめて、

「あの子、ちょっとやばかったんだよね」
「やばい?」

 ののがうんと頷いた。

 石野紗枝は女王様気質とでもいうのか、とにかくわがままだったらしい。
 気分屋で怒りっぽく、自分の思い通りにならないと不機嫌になるし、すこしでも虫の居どころが悪ければ八つ当たりもする。機嫌がいい日など数えるほどしかなく、ほぼ毎日、三人のうちの誰かがその標的にされていた。

 いじめられ役が順番に回ってくる、という言い方をののはした。

 当時俺も同じクラスだったけれど、まったく気がつかなかった。
 のの以外の女子との関わりもほとんどなかったというのもあるが、そもそも石野もクラス内で目立つのは好まず、小さなグループの女王様に君臨することで満足していたようである。

 それに、ののもまた、そんな〈厄介な友達を持っている〉素振りはまったく見せていなかった。

 愚痴ひとつこぼしていなかったように思う。――よく愚痴をこぼさずにいられたなと、俺は変なところで感心してしまった。そんな奴と友人関係を続けていられたことにも。

 俺にはぜったい無理だ。

 まあ、だからね――とののは続ける。

 みやげのキーホルダーをもらったその日に壊してしまえば当然――事情なんか関係なく――石野紗枝は怒るだろうし、ならば無視されるのも有り得る話、ということだった。

 『音乃』は否定しなかった。しかし肯定もしない。口をつぐんだままでいる。

 いずれにせよ――。

「つまりあの日、『俺』が手伝わなかったのがひとつのきっかけ、いわゆる〈分岐点〉ってことになるのか」

 昨日調べたおかげで、俺も並行世界については少しだけ詳しくなっている。

 真実か否かは別として、数多ある記事のなかでもっとも俺がしっくりきた解説は、いわばマルチエンディングのゲームみたいなものであるというものだった。

 選択の違いによって枝分かれしていく現実が、並行世界として無数に存在しているのだという。

 ちなみに反分子がどうのこうのとかいう科学的な分析記事も読みはしたが、半分以上理解できなかった。とりあえず「並行世界が在るという可能性は、有る」のだそうだ。

 『音乃』の人生がここまで大きく――こういう言い方はあまりしたくないが――ズレてしまったのは、『俺』がキーホルダーを拾わなかったことに起因している。そこがつまり〈分岐点〉なのだ。

 だからこそ『俺』は、あんなに『音乃』を避けて――

 ――いや、ちょっと待て。

「それ、こっちの『俺』は知ってるんだよな」
「それ?」

 ののが首を傾げる。

「みやげのキーホルダーのこと」

 俺がその存在を知っていたのは実際に拾ったからだ。中身がキーホルダーだというのも、今日初めて知ったこと。

 俺自身の記憶には〈石野紗枝からもらった茶色い小袋〉という情報しかない。

 あの場面で見ぬふりをしたのなら――たとえば、正面から「あんたのせいだ」と言われないかぎり、小袋の存在も、それが無視のきっかけになったことも知りようがないのではないか。

 言うだろうか、そんなふうに。〈のの〉が。

 『音乃』は少し考えるようにして、結果、黙った。

「それも……話したくないか?」
「……答え方、が」
「答え方?」
「はい。難しいです、とても」

 ――難しい、だろうか。

「知ってるのか知らないのか、俺が確認したいのはそれだけ――だけど」

 二択だ。
 するとののが不思議そうに、

「なんで、佳くん。そこ重要?」
「重要っていうか」

 俺はののへ顔を向ける。

「こっちの『俺』、極端に『音乃』を避けてるっていうか、逃げてるフシがあるっていうか。会うのはもちろん、話題にするのも――その」

 『音乃』を窺った。あんまり心地いい話じゃないだろう。

 曖昧ににごして、疑問に至った経緯を説明した。
 ののは、ぴんと来ていないらしい神妙な顔で口を結ぶ。

「要は、知ってるならそれが原因でってことになるけど、知らないなら別の理由が――」
「あいつ、イジメに加担した?」

 俺の言葉じりを姉貴が浚った。


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