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ノスタルジック・アディカウント #6
姉貴か『俺』か、事情を知るどちらかが出てくることを祈りながらインターフォンを押すとすぐ――本当に二秒くらいで――『俺』が飛び出してきた。
なんだかんだ心配してくれていたのか、
「どうだった?」
と開口一番、声をひそめて聞いてくる。
俺はひとまず、ごく簡単に、戻るために電車に乗ってみたけど駄目だったとだけ伝えた。
「深山は? なんか言ってた?」
「そのことで聞きたいことがあるんだけど――」
玄関口に立ったまま家の中を窺い見ると、姉貴が、リビングのドアを背中で塞ぐようにして立っていた。静かに、と唇に指をあてている。
リビングから漏れ聞こえてくるテレビの音声。
食事の支度をしているらしき音、その匂い。
どうやら母さんは、すでに帰ってきているらしい。
「――母さんに見つかるとまずいから」
「ああ、そーか。わるい」
『俺』はようやく気づいたみたいに、ドア側に体を寄せた。
中に入り、三和土で靴を脱ごうとしたときだった。
「みずほー、どなたー?」
リビングから母さんの声。
「た、宅配便! いまケイが受け取ってるから」
姉貴が慌てて答えた。
――けど、その嘘はちょっとまずいんじゃないのか。肝心の荷物がない。
「ああ、そうそう。お母さん、ゴボウのお茶頼んだのよ。お通じにいいらしくって――」
母さんの声が近づいてくる。
俺たちは顔を見合わせた。
まずい、とたぶん全員が同時に思った。
早く行け、と姉貴が手を振る。
やっべ、と小声をもらした『俺』に、急げ急げと背中を押される。
大わらわで靴を脱いで廊下に上がりはしたものの、ここに帰ってきたときに感じた靴の違和感がふとよぎり――見たところ『俺』は革靴(ローファー)は持っていないようだから――慌てて脱いだばかりの靴を持って、急げ急げと腕をばたつかせている『俺』を追いかけて、廊下に上がってすぐの階段を駆けあがった。
階段半ばで姉貴に、ごめん、と無声で謝る。
姉貴は、いいから行け、とふたたび手を振った。
「――あら、荷物は?」
「な、なんか間違えたみたい。うちのじゃなかったって」
「……佳は?」
「佳は――」
訝る母に、焦る姉貴。二人の声から逃げるように、俺たちは二階奥の部屋に飛びこんだ。
『俺』が後ろ手にきっちりドアを閉める。
顔を見合わせ、同時に深く息を吐いた。
なんとか事なきを得た――ようである。
姉貴も母さんも上がってくる気配はない。
「マジ焦ったあ」
『俺』はそう言いながらドアから離れた。
「鍵掛けとくけど、あんま騒ぐなよ」
騒がないけど、と思いながらも一応頷きを返して、室内をぐるりと見まわした。
ここは〈俺〉の自室である。
位置こそ同じだったが、俺と『俺』の部屋とでは、まったくといっていいほど違っていた。
俺の部屋は昔から、よく言えばシンプル、悪く言えば味気ないと、遊びにきた友人たちが口を揃えて言っていた。
一方『俺』の部屋は、とんでもなくロックだった。
壁には海外のロックバンドらしきポスターが貼ってあり、部屋の奥にはドラムセット――電子ドラムというものらしい、黒い皿みたいなものが並んでいる――があり、スコア本やらCDやらが収納棚に詰め込まれ、また床に積み上げられている。
音楽一色の部屋だった。
「まあ座れよ」
中央に置かれた、ノートパソコンの乗ったローテーブルの下からクッションを出した『俺』は、ごく自然な動きで、奥のドラムセットのスツールに腰かけた。
「で? 深山はなんて?」
「……え? ああ、うん」
部屋に気を取られていた俺は、どうにも落ち着かない心地のままクッションの上に腰を下ろした。靴は迷ったすえ、横に置いたスクールバッグの上に、裏返して乗せておく。
「ええと……とりあえず、順を追って説明する」
俺は、『音乃』たちと話したことをひとつずつ、できるだけ詳細に伝えた。『俺』は、慣れた手つきでドラムスティックを回しながら聞いていたが――
夢の話に至ったとき、ぴたと手を止めた。
「こっちの『音乃』は、その夢が自分の記憶だって言ってた。憶え、あるか?」
『俺』の顔は完全にこわばりきっている。
どうかしたかと問おうとしたが、先に、顔を背けられてしまった。
「なくはない。けど、あんまよく憶えてない」
なんとも曖昧な返答だ。
「実際に、あったにはあったってこと?」
「かもな。でも忘れた」
「忘れた? いや、でも今――」
「忘れた」
――なくはない、と初めに言っていたのに。
俺は思わず眉をひそめた。
しかし『俺』はそのまま黙りこくってしまった。
スティックが黒い皿を、とんとんとん、と叩いている。まるでびんぼう揺すりでもするみたいに。
「なあ」
たまりかねて声を掛ける。
「あったよ。……たぶんな」
投げやりな返答。
さすがにちょっと――苛ついた。
「あのな――」
「深山は?」
「は?」
「深山はなんて言ったんだよ」
「……だから。『音乃』は自分の記憶だって」
「そのあとは?」
「そのあと?」
鸚鵡返しになってしまう。
しかし『俺』は、またしても黙りこんでしまった。スティックだけが黒い皿の上で跳ねている。
「なんだよ、そのあとって」
スティックが止まった。
苛立ちを隠そうともしない瞳が、俺のほうへ向けられる。
「ソレとおまえらがこっちに来たのと、なんか関係あんのかよ」
「かもしれないから聞いてるんだろ」
「深山がそう言ったのかよ」
――深山、深山って。
「このことは、そっちの『音乃』とは話してない。自分の記憶だって言ってから、あいつも話したがらなくなったから。だからこれは俺とののの意見だよ。もしかしたら引きこもりの『音乃』のSOSなんじゃないかって話も出たし」
『俺』が気まずそうに視線を外した。
少しだけ、言葉が強くなった自覚があったから――俺はできるだけ口調を和らげ、続ける。
「それがどう繋がるのか、俺にもわからないけど。もしもあの夢がそっちの『俺』たちの記憶だとして、それが俺たちがこっちへ来るきっかけになったんなら――その辺の話聞かなきゃ始まらない。ただ電車で往復したって無意味なだけだ。俺は、そう思うけど」
『俺』はスティックの先を見つめている。やがて、はあ、と深く溜息をついた。
「その次の日からなんだよ」
「……なにが?」
「あいつが、いじめられるようになったの」
「いじめ? 『音乃』がか?」
俺はひどく驚いた。
『俺』は不貞腐れたようにそっぽを向いたまま、そうだよ、と続ける。
「っていっても、そこまで酷いもんじゃなかったけど。シカトされたりとか、そのくらい」
「それだって立派ないじめだろ。なんで――」
「知らねぇよ。深山に聞けよ」
――また、深山だ。
しかし今度は、『俺』は黙ることはしなかった。
こちらへと顔を向けて、
「っつーかあいつ、話したがらなかったんだろ。なら俺から話すことじゃねぇし。それに……行ってんだろ、深山のとこにも。おまえのほうの」
「……のの、か?」
「そいつが聞きだしてるかもしれねぇじゃん」
――まあ、たしかに。
『音乃』が話したがらなかったことを『俺』から聞きだすのも、筋違いというものか。
でもそれを差し引いても『俺』の見せた反応はやはりおかしかったと思う。
どちらかというと筋違いだというのは建前にすぎず、『俺』自身がその過去に触れられることを嫌がるような――拒絶するような印象のほうが、俺としては強かった。
これ以上はなにを聞いても無駄、か。
俺は彼から視線をはずした。
あらためてぐるりと部屋を見まわす。
「――にしても、すごいな」
「はあ? なにが?」
「もしかして、バンドとかやってんの?」
「あ、おう」
俺が調子を変えて言うと、不機嫌だった『俺』の声もにわかに明るくなった。
聞けばどうやら中学のときに軽音部に入ったのがきっかけで、以来、本格的に続けているらしい。コピーバンドではあるが、一応、お遊び程度に作ったオリジナル楽曲もあるのだとか。
「すごいな」
あらためて感心してしまった。
「べつに。たいしたことねーよ」
と言いつつも、まんざらでもなさそうである。くすぐったそうな顔をして、とん、とん、とん、とリズミカルに黒い皿を叩いている。
「おまえは? なんかやってんの?」
「いや、とくには」
俺自身は、部活も入っていないし、趣味と呼べる趣味もない。
「じゃあなにやってんの、普段」
「……まあ、普通に」
「勉強? ガリベン系?」
「それ、眼鏡の印象だけで言ってるだろ」
『俺』は答える代わりに、へへ、と笑った。自然な、屈託のない笑顔。いままで不貞腐れた顔しか見ていなかったが、元来、明るい性格なのだろう。
ぎすぎすした空気が、だいぶ和んだ。
「っつーかおまえ、メシどーすんの?」
「あー……」
さすがに食卓につくわけにもいかない。
「カップめんとかで良けりゃあとで持ってきてやるけど。どーせ俺、夜中食うし」
「夜中? 夜食ってことか?」
「そう」
「太るぞ」
「太んねーんだな、これが。いくら食っても」
「……ああ」
つい苦笑してしまった。
俺もそうなのだ。体質はまったく同じらしい。
「――なあ。これ、ネット繋がってる?」
俺はローテーブルに置かれたパソコンを示して、聞いてみる。「おー」とシンプルな答えが返ってきた。
「ちょっと借りていい?」
「どーぞ」
話に一段落がついてしまうと、『俺』は俺には目もくれず、ヘッドフォンをつけて本格的にドラムを叩きはじめた。音は聞こえてこないけど、それなりの練度があるらしいことは素人目にも見ていてわかる。
姉貴を呼び捨てにしたり金髪だったりといろいろ驚かされたけれど、まあ、――俺が言うのもなんだけれど――悪いやつではないらしい。
俺はしばらくドラムに熱中する彼を眺めてから、パソコンの電源を入れた。
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