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日常を味わうためのキャンプの効用

よくと言うほどではないけど、キャンプが好きで森に行く。
森に行くと「空気がうまい」と思うけど、都会の空気はそもそも不味かっただろうか?正直なところあまり覚えていない。

それなりに都市に住んでいるので常に山ほどの車が横を走り抜けていく。空気だって汚れているだろうし、騒音もなかなかだろう。平成26年度の名古屋市の調査だと市内昼間の騒音レベルは52dBだそうだ。それだけの騒音を僕は漫然と受け流して生きていたらしい。

考えてみるとやはり僕らの生活はあまりに刺激に溢れている。騒音だってそうだし、携帯も常々こっちを見ろとアピールしてくる。飲食店に入れば、トレーの上に敷かれた紙すら、大音量で語りかけてきたりする。自分が鈍感な人間だと常々思っていたけれど、これくらい鈍くないとやっていけないぐらいうるさいところで暮らしているのかもしれない。鈍感な僕お疲れさま。
問題なのはそれと同時に、日常のちいさな感動にも鈍感になってしまうことだ。やはりどこかで、刺激を切る瞬間がないと、色々な幸せにも、真っわりで起きている面白おかしいことにも、気づくチャンスを無くしてしまう。それはあまりに勿体無い。

岡倉天心の路地についての話を思い出した。

露地は、待合から茶室へと導く庭の小道だが、これも、瞑想の第一段階すなわち自己の目覚めへの移行を促すものだ。外界とのつながりを断ち、新鮮な感受性を呼び覚まして、茶室での美的体験を存分に味わえるように備えさせるのである。


新訳 茶の本
著者:岡倉 天心 / 訳者:大久保 喬樹

露地での静けさが、茶室での体験をよりリッチなものにするように、キャンプという体験は、日常生活を最高に味わいつくすの露地みたいな役割があるのかも知れない。

キャンプから帰ってくると、走ってる車が意外にうるさいことに気がつく。好きな森の匂いがしていないことにも気がつく、けど温かい日差しが肌に当たる感覚は味わえることにも気がつく。

行った時間もとても贅沢なんだが、帰ってからも日常がちょっとリッチに感じられる。これもキャンプの効用の一つなのだろう。

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