私の産後
Beauty Japan💎に挑戦中の
理学療法士、ピラティスインストラクターの
藤田友です💐✨
今日は私の産後について
書いていきたいと思います🌱
1人目の出産は3年前になります✳︎
私は産前、1年に数回海外へ飛び立ち、
国内旅行は月に1度は行くほど
アクティブなタイプでした✨
仕事もとてもだいすきで
バリバリ仕事をするタイプ。
管理職に抜擢され
いきいきとこなしていました🌱
そんな中、妊娠が発覚。
コロナ禍での出産となり
母親学級などすべてのイベントはなく
山梨の故郷で里帰り出産でしたが
主人が東京都在住であることから
立ち会い出産も不可でした。
妊娠中期より切迫早産となり、
張り止めを内服して、安静の日々。
みるみる体力は落ち、誰とも会えない不安な中、
17時間の陣痛を乗り越え
無事に生まれてきてくれました✨
安心したのも束の間。
出産後はとにかく
痛い!
会陰切開の傷が痛くて痛くて…
産後の記憶はそれが強烈に残っています。
そこから育児が始まりました🌱
赤ちゃんが可愛くて、愛おしくて、
それと同時に、心配で、不安で。
"この子の命は私にかかってる"
と思うと、怖くて泣けてきたことを
今でも良く覚えています。
そして、産後うつのスコアで引っかかり
産後半年ほど
地域の保健師さんの定期訪問を受けていました。
あんなに好きだった美容もできなくなり
気がついたら8ヶ月も美容院へ行っていなくて
なんだかボロボロな自分。
体型も崩れて
メイクもしない日も増えて
鏡を見るのも嫌で
似合う服もわからなくて
一気に周りのママや女性が
キラキラ眩しく見えて。
自分の人生のはずなのに
舞台袖の黒子になった気分でした。
赤ちゃんが生まれてこんなに幸せなはずなのに、
なんでこんなに辛いのか
そのときは分からなかったんです。
でも、それは
"自分を大切にすること"が
できなくなってしまっていたからだと
気づきました🌱
仕方ないし、当然のことなのかもしれないけれど
何をするにも"こども"のことを考えて
自分のことは"後回し"、"我慢"
きっと、私の中で
"母親はこうでなければいけない"という
イメージや理想があったのかもしれません🌱
気がついたら
それに押しつぶされてしまっていた私がいました
私は、その経験から
きっと私のような思いをしているひとがいるはず
"女性のサポートをしたい"
"産後ケアをもっと定着させたい"
と思い、子供が1歳半になるころに
資格を取得しました✨
ママたちが、自分のことを
"我慢"しなくてもいいように
"母になったから仕方ない"
と諦めることがないように
そして、Beauty Japanへの挑戦も
そんな思いを込めて決意しました💐
母だからできない
ではなく、
母になった私だから、挑戦します✨
同じ女性である娘にも
そんな母の姿を見せたかったのです💐
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