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【小説】幸福なウエイター

エイブは小さなレストランのウエイターでした。仕事でもプライベートでも問題も起こさず真面目に働いていたため、オーナーに気に入られてお店で一番長く勤めていました。仕事終わりの男たちが集まるようなレストランでしたので、彼も無理にサービスをしなくて済むため長続きすることができたのだと思います。

私はその日、朝から晩までのシフトでしたが夜の営業時間以外は軽食と飲み物しか出さないこともあり客足は多くありません。いつも通り新聞を読んで時間を潰していたところにドアチャイムが鳴る音がしました。私が目を向けるとそこには若い女が一人立っており、背筋を伸ばして静かに凛とする様は彼女の生い立ちを容易に想像することができるようで、絵になるような姿に思わず私は見とれてしまったのです。鈴の音が鳴り止み我に返った私は女性を席に案内しメニュー表を渡したのですが、その際に深く礼をしながら渡してしまいました。目を見て渡すことが出来なかったことにオーナーはすぐに気が付き、こっちに来いと手招きをしていたので私は何に注意されるのかすぐにわかりました。幸い話の途中で注文する声が聞こえてきましたのでオーナーに一言謝り女性の元へ向かいました。
立ち去る際に後ろから彼の声が聞こえてきましたがおおかた失礼のないようとに念を押す一言でしょう。
私は先ほどの無礼を挽回するべくしっかりと顔とそして目を見ながら彼女の前に立ちました。ただ一つ言うとすれば、びいどろのような瞳に夢中なことが気付かれないように接客したのです。
「カフェオレを一つ・・・料理はないのかしら?」
「申し訳ございません。昼は軽食とドリンクのみで、料理は夜からとなっております」
彼女が言うには、お友達がここの料理が美味しいかったから是非と勧められたのですが、提供の時間の説明を失念していたのでしょう。それなのに彼女は残念がる様子はせずに優しく微笑みながらカフェオレを注文しました。
伝票をオーナー渡す際に彼は「何話したんだ?」と私の様子を見ながらやり取りに問題がなかったか確認するかのように聞いてきましたので少し私も改まって説明をするとオーナーは「なるほどな」と呟いて先ほどのこともありお詫びを入れるからドリンクは俺が渡してくるからとエイブは休憩に入りなさいと言って厨房に戻っていきました。他にお客はいませんでしたので厚意に甘えることにしました。オーナーはお詫びを入れると言いましたが、若い女がお店に来ることが珍しかったので声をかけたくなったのでしょう。厨房から鼻歌が聞こえてきた気がしました。
休憩は店内の空いてる席を自由に使ってよかったので私は女性から一番遠い席に座ることにし談笑する二人を眺めながら休憩に時間を過ごしました。
しばらく経ったでしょうか、レジスターの音が聞こえ私は目を覚ましました。いつの間にか舟を漕いでいたようです。入り口には入店時と同じように美しく立つ姿があり今まさに出ていくという所だったのですが、私と目が合ったことに気が付いた女性は私の元に足早に来て
「また来るわね」と言い店を出ていきました。
私なんかよりよっぽどウエイターウエイトレスに向いてる方だと我ながら感じました。

その日の夜、私は女性のことを客たちに聞きました。
客らは口をそろえて「彼女はどんな人にも優しいんだ」「街中で困っている人を見かければすぐに手を貸すのさ」「彼女のことが嫌いな人を探す方が難しいよ」実に評判の良い女性でした。彼女の良い話を聞くと何故か私も嬉しくなりました。

数日が経ち彼女はあれから何度もお店に足を運んでいつの間にか、私の休憩時間の居場所は彼女のテーブルで過ごすことが多くなりました。
友人の話、読んだ本の話、道中見た花の話、どれも些細なことと思われるでしょうが、私は貴女に共有したくて堪らないのです。
春が来たら夏が来るように私は変わらぬ日々を過ごしていました。彼女が来店した日は一日楽しげに、見えない日のことは言うまでもありません。
エイブは犬のようだなとオーナーによく言われました。その発言は実に的を得ていて私も自分に尻尾が付いて無くてよかったと思います。

「カフェオレ・・・いや、コーヒーでお願いします」
彼女の注文を聞き伝票を書く手が思わず止まりました。
彼女に目をやるとメニュー表に目を向けており顔を確認することが出来ません。
「何かあったんですか?」その一言がなんとなく言葉に出来ず、途中まで書いたカフェオレの文字の上から少し力を入れて二重線を引きコーヒーと訂正し厨房に向かいました。
豆を挽く最中も蒸らす間も先ほど感じた違和感について考えてしまい時折彼女に目を向けると窓の外を眺めたり、自身の手を撫でるように触る姿があります。
出来上がったコーヒーをテーブルに置くと、彼女はいつも通りの穏やかな微笑みを見せましたが、その際に出た声はいつもより小さく違和感は確信へと変わり休憩時間に入った私は、意を決して声を掛けました。
「どうかされたのですか?」その呼びかけに彼女は苦笑いというのでしょうか、少しだけ下をうつむきながら健気に咲く小花に語りかけるように優しく「なんでもないよ」と発した彼女の姿は私には弱みを見せないように映りました。精一杯の感情で「何かあればお呼びください」と言い残し少し離れた席で新聞を読むフリをして彼女を眺めて過ごしました。

その日を境に休憩時間どころか毎日が楽しいモノでは無くなってしまいました。
彼女がため息をする姿を見るたびに私はどうにかして力になってあげたい。しかし彼女の悩みに検討がつかないのです。
カフェオレを飲まなくなったのは太ったからでしょうか。
お医者様から甘いものを控えるように言われたのでしょうか。
ご家族になにか良くないことが起きたのでしょうか。
彼女の悩みを取り除くことが私の今の願いなのです。
眠ろうと横になりましたが毎晩毎晩、いつの間にか彼女の事を考えてしまい寝付くことが出来ずにいました。この夜、私は何かに誘われるように街から少し遠くにある森に歩き始めました。

森は濃紺の夜空に照らされ恐ろしくも幻想的で美しい景色でこの時にでさえ思うことは、彼女にこの森を見せてあげたい、この美しさを伝えたいという気持ちそれだけでした。私は幼い頃からここを遊び場にしてきましたので迷うことなく進んでいきました。一見すると順調に見えましたが徐々に、頭の中に森の闇が入り込んでくるような感覚がありいつの間にか彼女のことを考えてしまいました。
「彼女がお店に来て他愛ない会話をするだけで私は幸せなのです。最近の彼女は物思いに吹けておりそれすらも叶いません。どうか彼女の悩みを解決して欲しい…」心からそう願いました。彼女の幸せが私の幸せだと・・・
大きく茂みをかき分ける音が聞こえ、静かで深い海から引き上げられたとしたらこの様な気分なのでしょう。私は歩みを止めて音の先に目を凝らしました。
前方少し道の高い所で複数の枝が揺れ動くのが見えました。暗闇で気が付くのに遅れましたがそれは鹿の群れでした。私の姿は闇に乗じており鹿の影がこちらに気が付く気配はありません。群れは私の道を遮るようにゆっくりと通り過ぎていきました。全て通り過ぎたと思い、また歩き出そうとすると一際大きな影が先程の群れと同じように現れたのです。ただ一つ違うのは道の中央で足を止め私の方を向いてきたことでした。大きな鹿はその場からジッと見つめる様子で佇んでおり私に対し何か投げかける言葉や想いを待っている様に思えました。
馬鹿げた話ですが、私はその姿を受け取り願いを伝え始めました。私が話し終えるまで鹿は一度も動きませんでしたが話が終わるとそいつはスグに上を向きました。何かに気付く様に、感じたようにも見えましたが、空を向いたのは一瞬の事で鹿は群れと同じように森の中に消えていきました。その直後のことです。鹿を追いかけるように森のあちこちで木々や茂みが大きく揺れる音が聞こえてきました。台風が森を襲った時のような音と似ているそれは動物達の森を駆け抜ける音で鹿と同じ方角へ一目散に消えていきます。しばらくして音は止み先程の騒ぎも相まって森の静けさが余計に際立つと感じましたが、それは冗談ではなく現に今この森には生き物の気配が感じられないのです。気味が悪くなり来た道を戻ろうとすると、私は突如真っ白な光に包まれました。目蓋を貫くような明るさで思わず昼間なのか真っ白い空間に居るのか自分は今、立っているのか分からなくなるほど強烈な光でした。目を瞑っていたにもかかわらず鹿の影が数秒浮かび上がってきたのです。

その日は快晴で街を歩く人々の頭上には家と家を繋ぐロープが垂れ下がりそれには洗濯物が干してあり、まるでパレードで飾る三角旗のようでした。
通りに風が吹き抜けると落ちる影がまだまだこれからだと囃し立てる様で
その下では、若い男女が仲睦まじい様子で語り合っています。
「昨日流れ星をみたんだ。僕は思わず一つのことをお願いしたんだ」
「私もお願いをしたわ。星が消えるまでに間に合ったか不安だったけどそんなことはなかったみたい」
街中昨晩の話題で持ちきりでした。誰もが夢や願いのことを話して人々は活気溢れています。お祭り騒ぎの人混みを通り抜け二人はレストランに入り飲み物を二つ注文しました。

「カフェオレを一つとコーヒーを一つ」

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