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線で見なきゃだめですか、点で見てちゃだめですか
音楽やら映画やら文学やら、文化的なもののことを、わたしはいつも点でしか見られない。
オタクたるもの、もちろん線で見て、たとえばその時代背景やら、影響を受けたルーツやら、同ジャンルのものやらを線で把握するのが好ましい姿、ただしい姿、理想的な姿であることは理解できる。
たとえば私は最近ずーっとYMOを好んで聴いていて、その中でも一曲を1.2週間リピートし続けたりすることもざらにある。
YMOを聴くなら、同年代に流行ったジャンルやバンド、
細野さん、ユキヒロさん関係の音楽を聴いたりすればよいのだと思う。
(坂本龍一のことはめちゃくちゃ好きなのでよく聴くけど)
でもそれをしないのは、
だって、YMOって良すぎるんだもん…!
ということだ。
「中国女」、「体操」、「RYDEEN」、「東風」、「TECNOPOLIS」、「MULTIPLUS」、
この曲のこの部分のベース!このフレーズの歌い方!
永遠に聴いていたいよ〜!
てなる曲がたくさんあるんだもん…!
てね。
だから私は真のオタクには一生なれないと思う。
知人に、私の思う理想のオタクみたいな人がいて、もっとものごとを線で見るべきだと指摘されたことがあり、もともと自分自身もそうなりたいと思っていたので、私なんかオタク名乗れない、"好き"なんて言えない。。。
と、"好き"のゲシュタルトが崩壊したこともあった。
そしてそれは、たとえばある分野全般にくわしい人に出会ったり、日常でそんな話になったときなど、今でもことあるごとに、"好き"ってなんだっけ…
と、椎名林檎の『やっつけ仕事』さながら「ねえ、好きってなんだっけ…思い出せないよ…思い出せないよおおおおおおお!!!!」
となる。
だけどわたしは、心の底から好きなんだ。
たとえ他者から認められないとしても。
許してほしい。許してください。
お願いします。
という気持ちで、今日もオタクになれないまま、生きていきます。
(2021年7月)
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