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宮沢賢治と宝石の国

またしても、宮沢賢治のことを書く。

前回の「疾中」のあとに載っているのが、
「星めぐりの歌」という詩だ。

なんか、こういうテイストの詩をわたしは最近読んだ…

宝石の国や…!ときづいたのだ。

※以下ネタバレ内容あります

祈りを終えたフォスが、長い時を経て出会ったのは人間を祖としない無機質の生命体である石ころさんであった。その石ころさんが披露してくれた歌が、なんか似ていると感じるのだ。

さらには、宝石の国は、言うてしまえば仏教の話である。七宝をその身に集めた、人間フォスフォフィライトが弥勒菩薩となる話。

Twitterとかで鬱マンガとか言ってる人がいるけれど、別に鬱マンガではない。月人側からすると、長い長い苦しみから解き放たれるための物語であるし、われわれ読者はつまらない人間風情なので本来月人に感情移入すべきなところを、多くの読者は単純にも話の軸として扱われているフォスフォフィライトに感情移入するからおかしなことになっとんじゃ。

その辺の解釈は一旦おいておいて、
賢治さんは子供の頃石ころが大好きだったという。石こ賢さんと呼ばれていたそうな。きっと石ころと話をしたり、歌を歌ったりもしたのではないだろうか。

そして法華経を熱心に信仰し、自然を支配することなくうまく人間とともに生きていけないかを生涯模索したという。

なにやら共通点がいくつも見出されてきて、1人ぐるぐる考え始めていたので、書きたくなったのだ。

要は、どっちも好きだ。賢治さんの書くことばも、市川先生が紡ぐ仏教解釈書宝石の国も。

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